ATA-NETとは

ATA-NET(Addiction Advocacy Network) は、多様化する嗜癖・嗜虐行動からの回復を支援するネットワークです。2016年からJST(日本科学技術振興財団)のRISTEX(社会技術研究開発センター)の「安全な暮らしを作る新しい公/私空間の構築」研究領域の助成を受けているプロジェクトです。詳しくは、https://ata-net.jp/ 参照。

ATA-NETでは、嗜癖・嗜虐行動からの回復の方法として人とのつながりを重視しており、具体的な手段として、「えんたく」と呼ぶ、対話の実践も行っています。

もふもふネットは、その中の、性問題行動を担当しており、今後、ATA-NETに関わる成果について、報告していく予定です。

性暴力に対する治療的介入に関する調査の結果について

性暴力に対する治療的介入に関する調査結果について
2017年に実施した標記調査について、ご協力いただきありがとうございました。結果の概要については、12月の子どもの虐待防止学会で報告しましたが、その際のPPTファイルをアップします。
JaSPCAN 2017もふもふ用.pdf
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2017年度に実施した大規模えんたくの記録

第1サークル(受刑経験のある者)

 

矢原:一言ずつ。

毛利:毛利です。Sセンターに勤めていて、今は広島国際大学にいます。今日は私が一番楽しみにしています。

矢原:あまりにもきちんとした自己紹介で始まったので、少し緩めましょう。何を話すかは昼を食べながら、みなさん心配されていたのですが、午後の会話の時間をどんな風に使いたいのか確認しておくと、最初のグループは、刑務所に入所した経験を持った方々のグループ、二番目に話していただくのは、そのご家族の方々。少し休憩して、三番目に話していただくのは、刑務所職員の方々、最後に刑務所に関わるような行政関係者、様々な職に就いている方々。お弁当を食べるときに確認したら、そういういろいろな方々が一同に会して一つの場所で話をするってこと自体が初めてのことって伺った。共通してお尋ねしたいのは、まず一つは、同じ場所で話すことがなかった人々が話すのが、どういう場所になったらいいかなと。来ていただくこと自体が一つの選択かもしれないし、何を聞かれるんだろうかとある中で、ここにおられることにまず感謝したい。みなさんがこの場をどのように使いたいか。

洋次郎:みなさん、こんにちは。

矢原:僕に小声で話してる感じで。二人で話しているところに、ちょっとしたカフェ

タミロウ:じゃんけんで負けました。僕は犯罪を犯して刑務所に、その間妻・・・なんやろか、話したいことはなせばいいんですか?ここにこさせていただいたのは藤岡先生に誘われたからですが、その前から今まで迷惑をかけた人たちにお詫びをしたいと思ってて、何ができるかなと思ってて、幼い時から生きてきて、息を吸うように嘘をついてきて、初めて盗みをしたのが幼稚園の時で、暴力事件とかしてきて、その場限りの人生、人生をきちんと考えることがなくて、収監されて2年間刑務所にいっているときに、妻に対してもずっと浮気をしてきたんですけど、ようやくそれをリセットできた、ある種ほっとした。これからどうやって生きていきたいかなあと考えていた時に、これまで傷つけた人たちに直接謝れないけど、何かできたらと考えていて、同時に社会貢献活動みたいの何かなあ、献血に行くとか、ごみを捨てるとか、先生に僕がお話することで役に立てるなら、させてくださいねと。

矢原:この場で話すことが役に立つかもということですが、どのようなことで役に立つというイメージ。

タミロウ:専門家の方々はお勉強してはるんやろうけど、犯罪を犯した者って独特な思考があって、なかなかそれを普段矯正関係の人に呼ばれても、普通の表現ができない。仮釈が欲しいとかなってしまって、それがこういう場なら考えを知ってもらうことができるかも。こういう思考があって、それをどう直したらいいとか、そういうきっかけになったら嬉しいかなと。

矢原:誰かに話す機会はあって、評価される中で話すので構えがあって・・・

タミロウ:今気づいたのは、単純に自分の話聞いてほしいっていうのもあると。藤岡先生のとこ通って、自助Gも通って、話し聞いてもらえたらすっきりする。小さい時から話を聞いてもらうことがなかった、決めつけられていて、きちんと話を聞いてもらうという気持ちが養われてこなかった。刑務所入ってきて、地元の先輩たちとかにも仲良くしてもらっているんですけど、言えてないことってある。人と仲良くなればなるほど、言えてないことがしんどい。本当は全て話せたらいいんやけど、なかなかすべて話すわけにもいけへんし、聞いた方も嫌な思いするかもしれへんし、言わないという選択をするんですけど、やっぱり人に話すという選択をしてない。そしたら自助Gやこういう場で話すことで、もやもやをはらさせてもらうために来たのかもしれないなと思いました。

矢原:でてすぐそう思った?

タミロウ:入る前までは過剰適応で、人に尽くして、人に役にたつことで、初めて人に認められると思ってたんですけど、逮捕されて地元の先輩とかも離れることなくいてくれたときに、繕うてる自分じゃなくてもいいんやなあと思ったんですけど、それまで繕うてる自分で、本当の自分を見せずにいて、妻が見つけてきてくれて、最初は裁判のためになんですけど、行き続けることによって、はじめて自分がしたことを人前で話して、過去の自分を話して、そういうことに心地よさを感じた。今まで嘘ついてきたけど、嘘って自分を助けるためについてきたと思ってたけど、どんどん自分を生きづらくしてきたんやなあって気づいたときに、話すことによってもっと楽になりたいと思って、出てからも。今まで自分が話すことによって嫌われると思ってたけど、まったく真逆やった。嘘をつくって自分を守るものやと思ってたけど、自分を苦しめるものなんやなって。今までの人生って全くぎゃくやったんやって気づいた。

洋次郎:こんにちは。少年院や鑑別所に少年時代から複数入って、20くらいから刑務所行2・3年いって、今8年くらいになるんですけど、元々自分リフレクティングってわからなかったんですけど、さらに分からなくなって、今、率直な気持ちは、直接関係ないんですけど、本を9冊くらい持ってきていて買ってくれる人がいるといいなというのと、いろんな人と出会える機会をもらえてありがたいなっていうのと、経歴だけを聞くと、でもまあ普通に、出会えてよかった。

矢原:つながっていく期待?

洋次郎:関係する専門家としての関係はいらない、最近高校生になった。40歳前にして、去年は受験に、介護福祉士の受験に追われてできなかったんですけど、なんかその、いわゆる普通と言われることを少しやらしてもらえるようになって、そのつながりが何かになるというわけではないんですけど、なんか普通の人として関わらせてもらえたらいいなと。

矢原:普通の人の洋次郎さんとつながっていくきっかけという期待

洋次郎:唯一、怖い人がいるんですけど、怒られそうな人がいるんですけど、普段会話に集っていく人たちはいるんですけど。そういう出会いがあるといいなあと。

矢原:昔からたくさんの出会いを求めてきた?それとも最近?

洋次郎:十代のときは水商売をしてて、お客さんが大勢いた。20歳くらいから病院入りだしたんで、そっからは病院の中で、ワーカーさんとか医者って、そこへ病的に巻き込みに行くんですけど、ぱって距離をとる。そういう関係性しかなくて、別に友達とかじゃないけども、刑務所でたとか病院とかそういうところじゃないところで普通に、しゃべれるような人間関係っていいなって。

矢原:当事者と利用者ではない関係性ですね。

ゲン:ものすごい緊張してる。まさかこんなどまんなかにくるとはまったく思ってなかった。そんな感じですか?自己紹介すればいいですか?

矢原:自己紹介はしたい範囲で、この場で話すことにどんなことを期待しているか。

ゲン:まず自己紹介なんですけど、まあ4年近くまえにSセンターに4年半服役して、TCに行って、毛利さんに会って、今日は何で来たかというと、最初毛利さんにお誘いいただいて、母親と一緒に来ませんかと、刑務所から出てから自分はこういう場にくるのは初めてで、あのとき中でさんざん輪になって自分の気持ちを話したりとかして、今4年たって、お世話になったしちょっと行こうかなという気になって、中で父親亡くしてて、母親と家族に迷惑かけたし、広島って遠くて、せっかく行くんだったらお母さんと泊まりで、二人で行くことそうそうないし、そういう気持ちもあって、中でしゃべってたあの時の気持ちがだんだん薄れてきてて、今この場にそういう思いを、そういうことをやってきたことを思い出してみようかなと思ってきました。この場で僕が話すことによって誰かに影響を与えたいとかそういうことは一切なくて、正直に、ただ普通に当時の自分を話して、あんまり深く考えていない。

矢原:あのときの気持ちを思い出したいってのは?

ゲン:社会生活に戻ってから、気持ちが緩むことがあったし、あの時は本当に自分を変えようという気持ちがあって、今は昔の自分の悪い部分が少しずつ戻ってきたんじゃなかと感じることもたびたびあって、あの時に自分を変えるんだと思った気持ちを思い出して、また。

矢原:出所してからそういう機会がなかった。大切な気持ちを忘れてきてるんじゃないか。

ゲン:こういうことをたびたびやってるというのは知ってたんですけど、自分から足を踏み入れるとは思わなかったんで、声をかけてもらったので、ちょっと考えて、やってみようかなと。

矢原:三者三様、聞いていて?

毛利:タミロウさんの話で、最初は誰かのためにと言っていたのが、自分の話を聞いてほしいと言われたのが印象的。洋次郎さんは普通の人として関わりたいと聞いて、ゲンさんからはあの時の自分を思い出したいという自分を中心においていて、上辺のことではなくここに三人の方が集まってくださった。ありがたい。おべっかではなくて、自分のためというのを出してくださって。私は何のためにここにいるのかと思うと、私も自分のためにここにいる。

矢原:もう少し

毛利:人の支援をする仕事を志して10数年やらせていただいてるが、最後は自分のために動いているという感じがあって、自分の利益とかではなくて、出所して変わった人に社会で会えて、自分のやっていたことが無駄ではなかったとかそういうことではあるんですけど。こういう場に専門家としてくると、自分の仕事に役たつとか、こういうことが聞けてよかったという入り方も一つあると思うんですけど、それこそ個人として普通の人として聞いて欲しいというように、一人の人間として声を聞いて、それを一人の人間として職場に返していくってけっこう難しいことのような気がして、スキルとして色々聞いて伝えるのはできても、一人の人間として覚悟をもって職場に帰って仕事をできるかというと、やはり役割とか雑念が、この場ではこんなことを言ってはいけないかもしれないとかそういうことが先立ってしまうので・・・うまく言えないんですけど、こういう場で一人の人間として聞けたことをどう持ち帰れるのかなあということをつらつら考えていました。

矢原:(リフレクティング)。聞いてあらためて、一言ずつ。

タミロウ:前から思っていたが、改めて、刑務官の仕事って大変やなあって。仕事と感情を切り分けるって大変。こいつ大丈夫かと心配してても連絡とられへんって聞くし、中にいるときに、刑務官に親身に相談にのってもらったけど、それに振り回されるわけにいかない。刑務官は公平にジャッジをしなければならない。こんな仕事僕にはできへんなと。妻と仕事の話をしていて、人としてどうかというのと、社会人としてどうかという、成績をあげるためにこんなことをしていて人としていいんか、言えないゆうてんのに言いくるめと言わせるとかに葛藤をするよねって話を妻とするんですけど、職種に関わらずそういう思いってするんやなあって。今まで自分は、しゃーないやん、そんなもんっていう変な割り切り、見ない、聞かない、感じないっていう人生を送ってきたんで。人として努力するって大事やなあって。そういう人でありたいなっていうのを感じさせていただきました。

矢原:(リフレクティング)

洋次郎:えーと、どんどん分けわからんようになってきて・・・ここで聞いたことですよね。さっきご飯食べてて、ある先生が「だいぶ洋次郎さんのおかげで稼がしてもらいました」って、そういうのがうれしい。ほんまにここでやってることよくわからないんですよ。ただ、興味がすごくある。自分、国連行った。ニューヨークの。ホロコースト行ったりね。興味がある。ここも日本中でいろんなことやっている人がいるのを見て、別に何を学びたいとかじゃないですけど、おもしろいなあ、世の中いろんなこといっぱいやってんねんなあと知れた。これを機に矢原先生とも親しくなってつながれたら。

矢原:つながりを広げていく

洋次郎:昔は自分ボスみたいにしてたんですけど、今は皆一緒にいて楽しくやりたいことやったらいい。

矢原:昔とつながり方が変わってきた。

洋次郎:みんなが何してるかとかも、矢原先生とか、何されてるかとか、そういう、普通にいう尊敬とか、意味知らないんですけど、そやけど普通に街で暮らして、ちょっと仕事したり、今日もめっちゃ早起きだったんですけど、そういうのをみんなしてんのかなっていうのを、すごいなあって思うし、何か共通項があればありがたいし、なかったらなかったでしゃーないしって感じ。

矢原:(リフレクティング)

ゲン:何をしゃべっていいのか?

矢原:聞いていて・・・

ゲン:タミロウさんが話していたことで同感だなって思ったのは、会社にいて利益を得たりする上で、僕、営業職で、何それって思うことあるんですけど、やっていかなければならない。

矢原:中での気持ちを思い出したいというのとつながる?

ゲン:中で学んだ維持サイクルってあるんですけど、無責任な行動があって、そこから犯行サイクルにつながっていく。自分にその維持サイクル、思い当たることがある。頑張ってはいるんですけど、そういうおさらい、久しぶりに仲間たちに会えて、まじかって、後でいろいろ話して語り合って、もう一回考えるきっかけにしたい。

矢原:(リフレクティング)

毛利:今考えていたのは、三人とも刑務所の文句とか言わないんだなと、社会の中で生きてるんだなって。刑務所のことをぶつぶつ恨んでるのは私だけなのかもしれないって思ったら、そうかって・・・。でも刑務所の中にいるとずっとその立場にとどまっているので、目の前の受刑者っていう立場以外のその後があるってことを分かっているようでわかっていなくて、処遇者側の視点というのが固まっていて、流れの視点が足りなかったのかもしれないなと、今を生きている三人の話を聞いて思いました。

矢原:職員の方がずっと刑務所にいて、出所した人は新しい人生の局面

毛利:そういう広い視点、時間軸が必要と思いました。

矢原:ありがとうございました。

 

第2サークル(家族)

 

矢原:ご家族のお話をうかがいます。まずは、今日ご参加くださったことに感謝申し上げます。うかがいたいのは、最初のグループと重なるんですが、こんなことを期待して、こういう機会になるといいなということを、それを教えていただくのと、簡単に自己紹介を。じゃんけんしますか?自分から?

M:ゲンの母親でMと申します。とっても最初は恥ずかしかったんですけど、入ってる間の手紙をみると少しづつ成長してると感じた。あの本送って、この本送ってということがあって、家にいた時は本を読みなさと言っても開くことがなかったのに、ちょっと変わって帰ってくるかなと思ったら、やっぱり少し変わって帰ってきました。しっかりして帰ってきた感じがします。だから悪いことしちゃったのはしょうがなくても、良くなって帰ってきて、今仕事もしてますし、頼りにもしてますし、良かったのか悪かったのかはわからないけれど、本人にとって成長したなって思ってます。

矢原:良くなったというのは?

M:知識がいっぱい入ったかな、暇があるっていうのもあるのかな、家にいたら暇じゃないから、お友達いていっぱい遊ばなくちゃなんないから。

矢原:出所した後は?遊べる。

M:それもあるんですけど、本を読むのもあって、けっこう忙しいんですよ。

IIといいます。息子が15歳くらいのときから、ずっとやんちゃなことばっかりして、10年ほど、鑑別所行って、少年院行って、刑務所行くっていう流れがありまして、Sセンターを出た。今日来させてもらったのは、声をかけてもらったということと、今は頑張ってるんですけど、それまでの長かった10年がありまして、最初はバイクを盗んできたというのがありまして、警察の人からお母ちゃん5年だけがまんしいや、5年たてば大丈夫って言われたんですけど、そっからの方がひどくて、本当にどうなってしまうかなあって、あって、正直私は誰にも言えずにきました。なので、どういう場かというのはわからなかったんですけど、みんなの前でちょっと話し、聞かれたこと答えたりする場があるんやけどいかへんかと言われた時に、言っていいんかなと、来させてもらうことにしました。本人も、家庭を持って、かわいい子供もできて、すっごく頑張ってると思います。それは、私はSセンターには一度も行ったことないんですけど、テレビを見て、すごい他と違って、いいところで、再犯率も少ないということで、テレビを見ながら安心してったってところがあります。そんな中で本人も頑張ってるけど、一番しんどいのは本人、私の中では自分がすっごいしんどいと思てたんですけど、息子が一番しんどいと思ってますので、そういうところを、よく頑張ってこういう場になれるような状況になってよかったねという気持ちで今日、来させてもらいました。

矢原:息子さんが頑張っていることを、こんな風に変わったよっていうのを伝える機会になるんじゃないかということですね。それを伝えることが、お母さんにとってはどんな・・・?

I:息子が悪いことして何回も電話かかってきて、いろんな警察署いってということを繰り返してきて、お友達としてたのに、いつも自分とこの息子だけが捕まる。その中で、私は、早く捕まえてくださいというときもありまして、本人もつらかったですけど、私も本当にしんどかったです。周りに言えなかったです。最初の時はお友達と一緒だったので、鑑別所に入ったのも一緒だったので、鑑別所の面会にもそのお友達のお母さんと行きました。その時は、本当困ったなと話しながらいけてたんですけど、だんだん距離っていうのが離れてきて、誰にも言えなくなってきて、家族関係も苦しくなってきて、一番である息子のお父さんと話をしなければいけなかったのに、家族関係が壊れつつあったので、そこでも言えない、言ってもわかってもらってるような気がしないということで、どんどん公に言えることでも中ったし、ずっと私も隠したり、嘘ついたり、みんなに。そんな中で生きたので、本当にしんどい思いをしてたんですけど、その中で原因は自分にあると思ってました、私は。私のせいで、私が小さい時からうるさかったり、自分の育て方が悪いかったりということでどんどんこうなってるんやわと。だから息子にもなんで私を困らせるというところで責めたりして、それの繰り返しで。私のせいやと思ってるんやけど息子を責めてというのがあったので、今の息子が本当すごい息子が自慢で仕方ないんです。自分が悪いことしたわけではないんですけど、自分の罪悪感がどんどんなくなっていって、今はかわいい孫とかも見せてもらって、幸せで、悪夢の10年間がどんどんなくなっていくので、それがすごい息子に感謝してる。自分が楽になっているんやなあって思います。

矢原:ずっと言えないっていう時期があって、それがしんどかった。それが今は変化した息子さんによって、今の息子さんのことを言いたいのと、かつて言えなかったということをもしかすると皆さんに共有したいっていうお気持ちも。

I:ご家族の方みんなしんどかったと思うんです、心配だし。悪いのは本人なんですけど、やはり家族やから心配。なんかそういう方とかともお話しできなかったので。

矢原:今でこそ言えるけど、そういうときってのはなかなかそういうことを人に言えないというしんどさを家族が経験しているということ。

T:私は、今日の話を主人がいただいたときに、妻は来ないからと断ったらしいんですね。で、断ったけれども、こういう話をいただきましたと聞いて、私は何で断ったん、広島なら行くからって。すいません、宮島に行ったことがないから。びっくりするくらい前情報がなくって、日程だけは聞いていたんですけど、ホテルとるにもどういう行程なのかわからないので、どうなってるんですかって、藤岡先生に聞いたらメールが返ってきたんですけど、二人でそれ読んでもなんのことかわからへんねって、本当に何を話すことを求められてここに来るのかわからなかったんですけど、まあ行ったらと思ってきたんです。

ただその中に、矯正教育の方とか、刑務官の方が来られるとプログラムに書いてたので、刑務官の方にお話ししたいと思ってきたんです。私の母が専門職をしてたので、Sセンターの存在を知ってたので、彼もおそらく収監になるだろうと思った時に是非ともそこにと面会の経路までしらべていたんですけど、残念ながらSセンターには行けなかったんです。で、みなさん言ってはったように、普通の刑務所っていうのは、刑務所の中の決まりを守ることに9割くらいの神経を使ってはって、手紙を読んでても、本当は自分と向き合って、リセットかけて、どうやって生きていかんといかんのかと考えられる状況に置いてもらってるはずなのに、全神経はその集団の中でどう飛び出さずに、めだたずに生きていくかということに神経をはりめぐらしていて、どうなんやろうと思っていた。そう聞いていたんですけど、やっぱり彼が中の様子を伝えてくれることでも、それが第一になる。その次に、空いている自由な時間を使って本を読んだり、自分がどうやっていくかになる。その中で人に対して敏感で目利きがきくので、パッと見てその人を判断しはるんですけど、数ある刑務官の中でも、何人か彼が心を開いた刑務官がいてはって、中の様子を聞いたらそんな話せる機会があるわけでもないので、どういうジャッジでそう思ったのか分からないんですけど、2年間収監されてて出てきて私が思ったのは、長い間夫婦をしてきて、私も家族がいますし、彼が元々育った家族っていうのはいろいろしんどいこともたくさんあったんですけど、彼のことを本当に思っているという気持ちが全く伝わらなく年月を重ねてきた中で全く人のことを信用してなかったんやというのを、私は事件と収監を通して知ったんですね。その彼が、2年間その中に入って、初めておそらく大人の人で、こんな人になりたいっていうモデルを刑務官の方に重ねはったんですね。だから腹立つんですけど、手紙の中に、こんなに大変な思いをさせた家族のために頑張るじゃなくて、刑務官のみなさんに悲しい思いをさせないために、正義を貫けない場面もあるらしんですけど、もめごとがあってぐっとこらえなくちゃならないときに。人っていうモデルの存在がなく生きてきた人にとって、24時間限られている泊まりの中で、そういう人がいてくださって、この人のために頑張ろうっていう毎日をすごして帰ってきた。そういう中身のことって知らされないし、答えてはいけないらしく、最後にご挨拶できなかったことや、工場を移るときにご挨拶できなかったっていうのを悔やんでるんですね。刑務官さんって生の受刑者の方を相手にしていて、繋がりってもってはいけないので、そういう声が伝わることは少ないんですね。でも、そういう人がいるっていうのを伝えたいなと思ってきました。

矢原:Sセンターについて素晴らしいとお二人の方がお話になって、そこには行かれなくて、でも他の刑務所の中でも刑務官との出会いが大きな影響を与えられて、そのことを伝えられる機会がないので、そういうことを今日伝えたいと。今の話を聞いて。入ってきた施設も違うし、感じられたことも違う。

毛利:本当は、語られたことを聞いていなければいけないのだろうけど、語られていないことを考えていて、ゲンさんのお母さんは刑務所のおかげと言ってくださったんですけど、その前の彼を知っていて、ご主人、お父さんが亡くなられていて、いろんな思いをされたんだろうけど、ポジティブに今を見ていて、そこの語られていない気持ちに気持ちがいった。Iさんのお母さんも自分も大変だったけど、息子ももっと大変だったと思うんですという一言を言われたのも印象的で、お互いに語れないものを抱えながらあって、それでも今はよかった方を見ていることの強さというかすごさというのを感じました。タミロウさんの奥さまも、冗談めかして言ってらしたけど、すごい心配して、事件後に近所のこととか新聞に載ったりとか、自分のことよりも家族のことを気持ちを語られるというのは私の心に残りました。うまく言えないんですけど。

矢原:毛利さんがご本人やご家族とこれまでにいろいろ関わりを持ってきたから・・・

毛利:お目にかかるのは初めてなんですけど、確かにそういわれると、私は勝手に先入観があって、いろいろ思いがあったかもしれないのに、ご家族はそこを語るだろうという先入観があったのかもしれない。そうじゃないことを話されたことに私が動かされたということなのかなと。

矢原:毛利さんの中にイメージがあった?

毛利:新聞見るのも怖いとか他のご家族に聞いたことがあったので、勝手に。

矢原:そういうイメージをもっていたことに今気づいた・・・家族やご本人を支援する人として毛利さんが語られたことを聞いて皆さんが感じたことを一言ずつ。

I:それはたぶん言わなかっただけで、思いはあるんですよ。でも時期があると思うんですね。私の中で一番しんどかったのは、収監待つまでの間の方が恐かったです。収監されている間は、自分の意識的にも消す、存在、生活の中に彼が組み込まれていないので、ちょっと離れたところで暮らしているんですよね。ただ、未だにフラッシュバックみたいに、いろんな経験してきたことの数々が、我が家で言えば、家に警察が来た時とか、私が警察に行った時とか、刑務所に面会に行ったときとか、その時々によみがえってくる気持ちっていうのはあるんですよね。でも、それが見たくないというより、意識的に自分でうまく避けて生活をするすべが身についてしまっていて、それが時々自分で怖くなる。結局、本人とも話はするんですけど、人を傷つけたということは忘れてはいけない。私たちがけして忘れてはいけない。思い続けなければいけないことなのに、生活する上では、それがあると次の一歩を踏み出せないときがあるから、意識下ではちょっとよけるっていうのをうまくやって、生きていくにはそれが必要やけど、人としてはその気持ちは忘れてはいけないから、ことあるごとに思い返して、自分であかんあかんておもうような毎日で、触れてはいけない傷の時期は今は私の中でないんだけど、違う形でよみがえってくることはあります。

矢原:常にずーとそこだけを見ているのも、それが壁になってしまうこともあるし、一方でそれを避けてしまうことが上手になっていくことの怖さもあって、それが失われてしまうと、その怖さというのをもう少し。

I:人として、さっき先生が、刑務所の文句言わないんですねって言いましたけど、私たち家族にしても、自分が悪いことしてはいっていることを文句いうなら、はあ?っていうわけですよ、家族としては。そんな文句があるなら、そんなところ行かなければよかったんじゃないんですかと。そういう意識では本人もたぶん、本心ではあったのかもしれないですけど、そういう形での不満というのは聞かなかったんですね。不満があっても、国の制度によってそんだけの時間を与えてもらったということを、自分のそれからのプラスにしはったので、なんでそんなことしなあかんねんじゃなくて、そういうものを含めて必要やったと思ってはると思うんで、法を踏み外したことに対して、刑務所に入って様々な理由があると思うんですけど、忘れたらあかんねというのは、傷つけられた人がその傷を一生持って生きるのに、私たちが忘れることはできへん、そんなことは許されへんって、二人で言うんですね。でも、その思いがあまりに大きすぎると、私たちも生きていけなくなるから、そこのバランスのとり方を気をつけるんですけど、まあ不謹慎ですけど、忘れてしまうときもあるけれども、思い出さなければあかんでって、二人で会話するんですけど、だから怖いっていうより、申し訳ないっていう罪悪感。

矢原:怖いというよりも罪悪感。難しいですよね。

 

第3サークル(刑務所現場職員)

 

矢原:どういったことを伝えたくて参加されたか、前半の話を聞いてどんなことを感じられたか、自己紹介を含めて。

与那覇:与那覇です。以前刑務所に勤めていた。鑑別所と刑務所と立ち位置によって実は異なる。話を聞いて良かった。行政に携わる人たちと膝を突き合わせて、個人としての話が聞けたら嬉しい。

矢原:役割としてと、人として感じてきたことを話してほしいということですね。

清瀬:清瀬です。去年Hセンターを退官した。Sセンターと似たような施設で、平成21年から。32年現場で仕事してきて、嬉しかったことは、「刑務官大変な仕事」と言われるのがうれしい。結果がでない。毎日同じような繰り返し。その中で矯正職員としての使命を頭の片隅において、勤務するわけだが、それを続けるのは正直大変。途中から管理職になって、直接接触は減ったが、矯正行政をまっすぐにするためには夜も眠れない。現場をやらせていただいて、母から「目つきが悪くなった」と言われた。3年くらいで、「あんた目つき悪い」と言われた。しばらくしてから、10時前一人で歩いていて、職質された。「にいちゃん仕事何?」と言われ、「あんたと同じ公安職やで」と言ったら、「ごくろうはん」と言われた。嫁さんとの喧嘩は、負けます。最後は嫁さんをきゃんと言わせず、最後は家庭円満のため、僕が折れます。

先ほどご家族の方から、将来の人生のモデルを刑務官に見たと言われて、現場で頑張っている刑務官の勤務態度に間違いはないんやろうな。工場担当さんは、時にはオヤジのように、兄のように接している。刑務官という仕事は日の当たらない仕事ですが、刑務官としての伝統、間違いがないということを言いたい。やってきたことは間違いはないのかなと感じている。

矢原:清瀬さんの中では刑務官への評価が印象的・・清瀬さんご自身の大変であることについて30年以上続けてきて、何か・・・間違ってなかったと言われて・・・一方でこんな仕事はとてもできないと言われて、しんどさとか感じてこられた?

清瀬:ありますね。23歳で、社会の右も左もわからず入って、犯罪を起こした人と接していく中で、行政行為ですから法律に基づくので、そういう知識や理解を深め、人と接する仕事なので、物の言い方というか、AさんとBさんと違う。個々の背景や資質を踏まえながらやっていかなあかん。やればるほどむずかしい。

矢原:人として

清瀬:若い時はなんでもそうなんですけど、経験積むにつれて工場担当になったり、私は最後は係長になって、持ち場持ち場任されているところで、雰囲気を崩したらダメで、自分が上司の方から任された職責に対するプレッシャー。負けてしまうと、気持ち的に落ちていくと仕事へのモチベーションがなくなっていく。

矢原:今日は

清瀬:すごい不安やった。現役の矯正職員、特に刑務官がこういう場で話すのはない。こういう場で私はどのような話をすればよいのか新幹線の中で考えた。お昼も考えて、やはり「やっててよかたな」。やはり最後は、日本の法治国家としてを守る。ご本人のお話を聞いてて、出所した方の話を聞くのは初めてで、僕らのやってきたことは間違いなかったのかな。刑務所の中で規則を守らせるのに、20%力をそそぐ。そうなんです。私が刑務官になってから施設が乱れたというのは多分なかった。そういうのを経験した先輩の話を聞くと、乱れた施設では仕事できない。皆休みたがる。だから施設が乱れないように。PFIの中で、個々の受刑者の方々に応じた社会復帰のための働きかけができるところであれば、個々の資質に応じたプログラムが組めると思うが、そこがうまく機能してないなと話したかったが、ご家族の話を聞いて、少し変わった。

矢原:(リフレクティング)

与那覇:私は矯正職員としては20数年。現在H少年鑑別所。この4月まではH刑務所で働いていた。仕事は心理技官(仕事内容の説明)。対象年齢は変わるが基本的仕事はそんなに変わらない。今日伺っておもしろいなと思ったのが、本人や家族に話を聞くことはできない。会うことができるのは、失敗した人。なんで失敗したかを考えるのが仕事なので、ダメな部分に目が向く。でも、うまくいくためには何が必要なのかを聞くのは面白いなと思った。家族でこれらて確かに来てくれて「今は、頼りにしているとか」、とてもポジティブで、絆ってこういうことなんだなと実感した。本人も悩みながらも、社会の中で役割と支えてくれる人が必要なんだと思った。

矢原:そういう人たちの果たしていく役割は、普段外とつながっていない、そういった部分

志摩:Sセンターで社会復帰支援員という民間の職員をしている。前半に勇気を出して話してくださった方々の話を聞いて、期待通り、普段聞けないことをたくさん聞かせていただいた。

矢原:聞きたかったことが聞けた

志摩:人とつながりだとか、自分の話を聞いて欲しいとかあって、傷ついた経験とかを本音で伝える相手がいるということ。普段聞いている人たちから、そういう相手がいないということを聞くことが多い。例えば、お母さんから「今日からこの人をお父さんと呼びなさい」と言われて、人への不信感とかそういう価値観を引きずっているという話とかを聞く。

矢原:(リフレクティング)

志摩:できれば傷ついた自分を出所する前までに整理することを目指しているがなかなか話せない。人の話を聞きながら整理していってほしい。自分の物語を整理していく。

矢原:(リフレクティング)

志摩:今日、話ができるということ自体が、自分の中で整理ができているということなのかなと、共感できることがすごく多くて、加害者と私たちとは何ら違うことはない、同じ人間であって、違うところがあるとすれば、わかるよって聞いて共感してくれる人にこれまで会えなかったのかと。

矢原:いろんな立場、

藤岡:二人とは立場が似ていて、共感できた。特に志摩さんとは、Sセンターの肝を共有できる。刑務官は包容力があって、力あって、モデルになれる。受刑者は刑期があるけど、刑務官は刑期がない。Sセンターをでた人たちに感謝されて、嬉しかった、ただ、刑務所はやっぱり変えなくちゃ、という気があって、刑務官が大変すぎるのはいけないと思っている。自分たちがここを守っているというプライドのストーリを持っていて、外の考えは入っていかない。システムを変えない為だけに動いている気がする。システムを変えていくためにもこの場は大切と思う。

矢原:刑務官は今ある規律をいかに守るかは必要、一方で変えていくというときに、今日のような機会がないということが今起きている。

藤岡:この場を作るというと一人ひとりの顔が見える。それを見えなくさせる、観ちゃいけないという仕組みが刑務所の中にあるのではないか。刑務官は、一面はよく知っているが、出た後とか、家族のこととか、他のことは見えない仕組みになっているのではないか。

矢原:ディスカッションの場とは少し違う。こんなことを受け止めているということを。

清瀬:藤岡先生の言う通り、矯正教育に行くと、PFIはうってつけの施設。矯正職員は狭い中での経験なので、民間の方々の視野を入れるのはPFIと僕は思う。民間の活力を活用した広い教育を行うべきところをなかなかそうはいってない。開かれた行政というコンセプトで始まったにも関わらず、なにか規律中心の施設になってしまう。私見ですが、限られた世界でしか仕事してませんので、現場を経験させてから、教育や分類に行く、規律が頭の片隅に残ってしまう。気が付くと、他の刑務所とやっていることが変わらない。

矢原:外の風がはいってくるような仕組み

与那覇:10年間仕事してきて、思ったことは、刑務所は、もともとは再犯防止のための施設ではない。刑罰を与えるところ。厳しい生活、規則正しい生活をすること、地道に作業すること、そういう生活の結果、嫌な思いをしたくない、それだったら刑務所にこないようにしよう、自己責任という決意をしてもらおうとするような施設なんだろうなと思っている。それが時代の流れとともに刑務所の役割もちょっと変わってきた。再犯防止も少し加わった。長年やってきた人ほど、仕事に対する価値観が変わってきて、転換時期。そこに藤岡さんみたいに爆弾を投げる人がいると・・・。10年仕事をした私の感触としては、累犯刑務所で働いていたが、そういう人たちに教育をする価値はあるなと思っている。スタンダードではない。無理と思っている人たちの方が多いような気がする。顔見て話しするとできそうな気がする。とっかかりがありそう。大幅に変えることは、時間がかかると思うが、少しづつ価値観が変わってきているという印象がある。受刑者に教育をする人たちにそんなのやっても意味ないよという雰囲気だった。教育を邪魔くさいという存在だった。やるっていう人がいるんだからやってもいいよという市民権は得られてきている。また、10年、20年で少しづつ変わっていければ。刑罰を与える施設であることは変わらないので、より大変にはなると思うけど、いい方向に変わっていけばいいなと。

志摩:家族の方とは、家族会とか始まって少し進んだかなと。地域にもつながってきている。一番大切なのは、被害者への賠償や償いだと思う。

矢原:刑務所の在り方自体が変化に直面している・・・こういう可能性があるんじゃないか。

藤岡:清瀬さんに、何叱られるんだろうとドキドキした。この10年で変わってきたのは確かで、矯正局も保護局も何とかしなくちゃと思っていると思う。バックラッシュはこわい。そういう意味でも、こういったリフレクティングとかで、現場の人たちも、顔の見える関係が持てるようになると定着していくかも。次の行政の人たちに期待したい。

 

第4サークル(司法・行政管理職)

 

矢原:前半の入所された、家族の方のお話、今、刑務所の中で働いている方々のお話をうかがいました。まずは、自己紹介の上で、今日はこんなことを期待してきたけれど、この時点でお話したいことをお願いします。どなたから?じゃんけんしますかね?

井垣:私は現在弁護士ですが、学生時代から50年間刑事政策に関心があって、日本という国は、犯罪者に対して罰を与えるということが当たり前ですが、世界的には違う。死刑制度に対しても、世界的には少ない。教育して社会に返すのが世界の趨勢。かなり遅れているのは残念なことだが、今日のようなことがあると少しづつ変わってきていている感じがして、期待している。

矢原:前半の話を聞いて・・・何か?

井垣:犯罪者が人前に顔をさらして意見を言う、家族がものをいうこと自体が大きな変化、大きな、大きな変化。専門家は当たり前ですが、元犯罪者はこういうところで、顔をだして話すことがとても大事。大きな進歩の方向を示している。専門家として応援したい。

矢原:昼も何を話すかを気にしておられたが、専門家として話すことにも責任がある。立場の公式見解になると発言しずらい。私という人としてこう感じる、こう考えるで、けっこうです。

大塲:すごく居心地が悪い。私は法務省の現役の役人、よく呼んでくるなあ、藤岡先生に説明なく、来いと言われた。私は藤岡先生とは違い、辛抱強く30年以上法務省で生活している。役人は、これは自分の仕事かどうかと考える。広島であるのであれば、広島管区に投げようと思ったが、藤岡先生に来いと言われて断れない。居心地が悪いというのは、私が、人前で話すときはち密な準備をする。PPTや資料を用意し、自分の発言を用意し、想定問答を考えてという手順を踏む。いくらたっても何も言われない、で、毛利さんに聞きました、私は何を準備すればいいんですかって・・・、そしたら彼女は言ったんです「何もいらない」って。つまり行き当たりばったり、でたとこ勝負ですかと聞いたら、そうですって。そういう意味で、私は丸裸にされている感じ。

矢原:新鮮ですね。

大塲:そうです。

矢原:そうなんですよね。周到に用意して話すのが必要な場面は社会的で、一人の人として、ある組織の一員として準備必要ですね。

大塲:論文を書くときに、「この論文は個人の意見であって、組織の見解ではない」と書くことが習い性になっている。

矢原:周到に準備する、そうじゃない大塲というのは大塲さんの中に・・・

大塲:ちょっと私にとっては違う。午前中の藤岡先生のたまねぎ理論おもしろいと思った。薄皮を向いていったらそこに違う自分がいるかといったらそうではない。きちんと伝えるために周到な準備をするのであって、剥いていってもあまり変わりはないかなと。まあ、見てくださいって感じ。

矢原:本質のところで大きく変わることではないと・・この場でどんなことをお考えですか

大塲:その後の人生というのが言葉として大事だなと、手塚さんは元大阪矯正管区長で偉い人、でも知らなかった、矯正と保護の間に高い高い塀がある。保護が終わった後の人生が繋がっている。保護観察でも対象者としての○○さん、捕まったら被疑者、裁判では被告人、そして受刑者、保護観察対象者、それは我々のカテゴリーにしかすぎない。その人たちはずっと生きている。ご本人と家族の話が響いた。

矢原:行政の中でも矯正と保護に壁がある・・・いろいろな壁、そこの風通しを悪くしているものって・・・

大塲:ここ10年というのは大きなことだったと思う、揺らぎであって、変わってきた。刑務所中で暮らしている人、保護観察中の人、生活している人、別々の人ではない。世界では矯正と保護が一緒のところが多いというけれど、私が入った30年前から、私は矯正、私は保護は、あったけど、変わってきているのは間違いない。

矢原:(リフレクティング)

手塚:元刑務官。38年間勤務して、今年3月退職したので、大塲さんよりはしゃべれるかなと。今日話を聞いて、涙がでるくらい感激した。というのは、私が矯正局にいたときにこのPFIを企画して、MSセンター長を2年間づつ。本当にうれしい話を聞かせてもらった。なぜこのPFIを作ろうと思ったか、いや、作ろうと思ったのは私じゃない、もっと上の人、当時の小泉首相。どういう施設をつくるかということ、その時、再犯防止を主として作ろうと。Mセンターは最初なので、間違いのない施設、Sセンターは、二番目だったので、今問題になっていることを全部入れようと。HセンターやKセンターは本来国でやるはずだったのが、職員定員で賄えないということで。PFIを作ったのは、矯正にとって一つの布石になったが、これが次のステップに進まないとどうしようもない。PFIで完結してもらっては困る。関係機関を巻き込んで盛り上がっていかないと。38年間勤務して非常に疲れた。無職になって3か月、何もしてません。無職の人の気持ちが少しわかった。人と会うとき名刺がない。もう少し無職を続けようと思っている。エネルギーが出てきたら、次に行きたいと思っている。今日は本当にありがとうございました。嬉しくて仕方ありません。

矢原:変化が起きていると語られた、一方で揺り戻しもあると・・・

藤岡:今日は、共通の考えを持っている方々に声をかけたので、心強いけど、そうじゃない人の方が多い。日本の行政は、公務員が、先手先手を打って動いてきた。今、矯正も保護も裁判も、動いてきてる。次のステップは、社会自体が変わることかなと思っている。教育、かなあ・・それに関わる専門家たちというよりも、普通の生活の中でも、こういう行為は、見つかれば犯罪、加害なんだと、わりと加害行為を見逃し、被害者をさらに踏みつけるといったような、一般の理解として残っている。特に性犯罪とか。一般の人たちが、加害と被害を理解したり、話し合いのスキルを身に着けていく、世の中が変わると次のステップへ行くのかな。今、優秀と言われる学生たちでさえ、厳罰、厳罰、はい終わり・・・みたいなのが多い。

矢原:(リフレクティング)

F:矯正というより、サークルとか「えんたく」とか準備せずに自分の考えを出して、皆で決めていくというやり方自体が大事かなと思っていて、そういう意味では、AAとか回復共同体(TC)とか、一般社会でも重要と思うようになった。大塲さんは準備すると聞いて、さすが残っている公務員とやめた公務員の違いと思った。でも、準備しちゃうとモノローグになるような気がして・・ごめんなさい。

大塲:喧嘩売られてる?ダイアローグが大事だと・・・

矢原:教育の在り方という大きな・・・刑務所に関わる人たちが集まるということが

井垣:司法判断についての考え方って、特殊なんですけど、執行猶予ついて帰ってきた人は普通の人間として、刑務所行った人たちに対して、「あいつら(聞き取りできず)だから行かされた、相手にしない」ということで、社会全体、実刑の人たちに対して相手にしない、社会の方が「けだもの」と思っているので、なかなか帰ってきたと言うわけにはいかない。この感覚は改めなければいけない大きな課題。ここで、顔を出して話しているのは大きなこと。

矢原:なかなか出会う機会がない。もう一巡、ひとことづつ

大塲:いろんな思いがある。最初に思うことは、犯人確保しなければならない、そのあと適切な刑罰を与えなければ。そこで一件落着で思考停止。でも、その人は刑務所行ったり、家族とやり取りしたり、その人抜きの家族ができてしまうかもしれない。やはり帰る。犯罪者とか受刑者という抵抗勢力、例えば社会内処遇一つとってもそれは甘やかしではないかという意見がある。PFI、素晴らしい試み、TCもそう。でも、これは甘やかしではないかという声はある。いっぱいある。一人ひとりの人生を抱えて地域に帰ってきて、お隣さんである一人ひとりという思いを感じて欲しい。井垣元判事に会えてよかった。

井垣:少年事件の世界で、4つのゼロが揃った子が少年院に送られる。本人の自己肯定感が低い、将来への希望がない、居場所がない、誰も本人のことを心配していない、その4つが揃った子は少年院いれるしかないという意見が強くなっている。

手塚:壁という話、刑務所の中の。施設の壁をなくした。その方が、外から人が中を見えるように。矯正の中でも反対する人がいっぱいいた。刑期を終えて社会に変えるのだから、そこをどうつないでいくのか、そこが大きい。アメリカやヨーロッパの刑務所を見てきた。アメリカは全く参考にならなかったけど、コミュニティ・サークル注)だけよかった。1か月に1回だけ、市民が刑務所に行って受刑者と話す。唯一、Sセンターでできなかった。やはり社会にも勉強してもらって、どういうことをやっているのか知ることから始まる。Sセンターは1年間の参観者5000人くらい。なんでこんなきれいな施設にいるんだ、なぜ彼らは笑っているんだという、一般にはまだまだそんな認識がある。そこが変化しないと、変わらないのでは。そこまで行くと開かれた施設になっていくのでは。

井垣:それは制度の問題。裁判員は、どこの刑務所に行ったか関心持つ、でも教えてもらえない。38年間裁判官として何千人と刑務所送ったけれど、どこの刑務所行ったかまったくわからない。

注)コミュニティ・サークルはカナダの実践

 

全体サークル

 

矢原:150人くらい、遠くからもいらしていただいて、みなさんも感じたことを話してみたいという方がいらしたら・・・

立命館大学研究員:以前毛利さんに来ていただいたので、行くかと思ってきたけど、自分がたったのとは比べ物にならないくらいよいシンポジウムだった。午前中の話を聞いているとき、質問したかった。リフレクティングにゴールはあるのかと聞いてみたかったが、午後の話で答えは出た。いろんな人の話でその中で自分の中で得たものがあって、それを話すというプロセスが大事と思った。

矢原:リフレクティングのゴールは会話を続けること、そのためには、違う立場の人たちが、壁がなく、対話することによって新しく何かよいこと、良いものができても新しい壁ができるかもしれないけど、そういうときにも風を通すことができる。

家裁調査官:今日は、リフレクティングの関心で来たけど、藤岡先生と矢原先生に聞きたい。ノルウェーの刑務所について、受刑者にとってそこで生活していることも意味は変わっていくのではないか?リフレクティングを入れることによって、中にいることの生活の意味を見出していくことに意味があるのでは。

矢原:今日の話を伺った中でも、刑務所内でも何かある種の気づき、変化する方もいらっしゃのかもしれないなと前半の中で。こういう目的のためにこういうシステム作りますというのが、全員に有効かというと必ずしもそうではないが、より多様な選択が刑務所にも必要。話すことをただ積み重ねていく中でそれぞれが必要なことを何かくみ取っていく。

藤岡:ノルウェーの刑の目的は、国民のアンケートを見ても日本と変わらなかった。違うのは、一人ひとりの人間をどう扱うか、国民と社会との関係が違うと感じた。人口少ないとかずいぶん違いますが、ヨーロッパでは、自由刑は移動の自由を奪うだけで、それが主流になっている。日本では懲役として、働くことがセットになっている。強制労働させているという意見が欧米では、強い。ノルウェーでは電車に乗っても検札もない、キセルとかないのですかと聞いたら、そんなことは学校で習っていると。日本は、どこかで江戸時代の流れ、お上がいて、国民は働いて、税金納めて、一人ひとりの教育費や福祉は低く抑えられていて、働きアリとして扱われているんじゃないかなと思うところがちょっとあります。

刑務官:学がないんで、、、みんな幸せに暮らすためにルール守れないから厳しくする、寝る位置から、すごく悩んだんですけど、これくらい守れないから皆同じようにしなければならない。守れるように一生懸命守れるようにしてあげる。受刑者は怖いし、絶対負けますし、工場で対するためにどうしたらいいか、ルールが厳しいことは悪いことですけど、ルールがあるからなんとかいけているという現実があるし、それを厳罰だとか言われたら・・・見方はいろいろあるんでしょうけど。けっしていじめようとかしているわけではなくて、バーッと目の前に座られています。私語を禁止にしなければどこで誰がしゃべってるかわかんないし、整理整頓とかもここに何があるかわかっているからやれる。例えば寝る位置にしても、もしかして死ぬんじゃないかなこの人、どっか行ってるんじゃないか、自殺してるんじゃないかとわかるために日本はしている。一瞬に見極められるようにしている。厳しいって言えば厳しいんですけど、守ってあげようと思ってやっている部分もあるんで、どう変わっていくのかわからないんですけど、そういった良い意味もあるんだということを理解していただけたらと、私は思うんですけど。言い方がよくないですけど、上の方が良くしてあげようと思ってるんだと思うんですけど、現場の声も聴いていただけたらなと思います。

藤岡:貴重なご意見ありがとうございます。もっと早くにうかがいたかったな。でも、よく聞く意見です。刑務官たちはそういう信念ですごいまじめに仕事をしておられるんだと思います。ただ、例えば一人で100人の受刑者を見るんじゃなくて、10人の受刑者を二人で見るんだったらどうでしょう?あの狭い部屋に布団をいっぱい敷いて寝るんじゃなくて、例えばもうちょっと広い空間で、一人ひとりの部屋があったらどうでしょう。だから多分、刑務官にも無理な在り方を強いている今の在り方を変えなくてはいけないという考えを私はもっています。

手塚:いろいろな決まり事があるというのは、一つは今言われたこと、もう一つは受刑者の中で力関係をつけない。だからわりと細かくいろいろなことを決めている。刑務官の数ですが、職員負担率、一人の職員が何人受刑者を持っているかという。ヨーロッパだとだいたい1.82.0人、アメリカで3.1、日本は4.6くらいまでいきました。それはやっぱり大きいかなと思います。そこを解消しない限り難しい。

藤岡:保安の在り方にもいろいろあると思う。ルールを教えてやるっていったんだけど、刑務所の中のルールは外に出て役に立たないのばっかりの気がする。そして、ルールは教えてやるものじゃなくて、本人が身につけていくものであって、あれもダメ、これもダメっていう今の刑務所のやり方の、保安のやり方以外のやり方があると私たちは考えていて、それはこうしたサークルを作って、自分で考えて、感じて、決めていく力を育てていく方が良いという。小さな規律違反はあったとしても、そこから学べるような、ダイナミックなセキュリティ、動的な保安があると思っていて、それを一切入れる余地がないと思われているのかなと思います。

矢原:真ん中の円の人が話すよりも、次の質問の後は、一度場を閉じて、自由時間があるので、個別に話していくことに。

鑑別所長:感想です。最初から最後まで刺激的な議論で楽しかった。午前中の藤岡さんの講義について、離脱のために社会的絆と内的な主体性が必要と言うことで、今日のこの場は、まさにそういうものだったなと思っています。ありがとうございました。

X:リフレクティングということだったので、もう一度グループ1や2の人の話を聞きたい。

洋次郎:家族の話で、刑務所の近くに来たことで当時のことを思い出すとか、母親も元気にしているが、そういうのって長い間そういうのって、とれへんのかなと。あと、グループ3の人とか4の人とかのいろんな話が聞けて、良い意味で、面白くて、違った一面が見れてよかったなと。ありがとうございました。

タミロウ:ありがとうございました。第1グループの我々はまじめやったなあと、こんなんでいいんかな、えらい人らが・・・と思いながら・・・ルール守れてないんじゃ・・・さすがミス藤岡のお知り合いで、バイタリティのある方ばかりで、極端な話、今日のこのメンバーを刑務官を集めて刑務所でやったらどないやろと、今まで思っていたことを考え直すことを一人でもでるんじゃないかなと思いました。僕自身、何か力になれたらうれしいなあと思ってます。

ゲンさん:今日、久々にこういう場に来て、しゃべらせていただいて、TCにいたときは、自分の感情、経験を話すというところをやっていて、出てから4年間そういう機会はなくて、出てきた仲間たちにしかそういうことを話せなくて、今日、固まってきた、無駄なプライドとか、生活していくうえで、さらけ出さなくていいっていうか、自分の本心を、皮をかぶってて、かっこ悪いとかかぶせなくていいものをかぶってきていて、真ん丸の玉であるべきものが、でこぼこしてきてたんですけど、それが少しはがれたっていうのを今感じている。ありがとうございました。

母1:私はすごく印象的だったのが、生活を自分築いていかなければだめやと言いはったのが、たぶん先生方がSセンターを作った意味というのはそこにあって、私も教育が必要なんだと思う。自分の人生を自分で作っていくって、なかなか教えてはもらえなくて、近くに教わる大人がいなかったとき、教えてもらわずにそれを知っていくっていうのはすごく大変なことで、息子は支援者に恵まれて、教育を受けてから外に出て一生懸命自分の人生を作っていっている。教育を受けられる時間があれば、そういう時間って、家族にとっては、離れなくてはいけない時間はつらいですが、そこから新しい人生が始まれば、意味があると思う。満期で出て欲しくなかった。保護観察はありがたい教育の時間。こういう刑務所が増えて、教育を受ける場がいっぱいあるということが再犯率低下につながると思う。勉強させていただきました。ありがとうございます。

母2:自分の感情をお話しさせていただきましたが、いろんな立場にならないとわからないことってあって、すごく勉強になりました。最後まで親の感情なんですけど、出てきてからも最後まで見守っていきたいなと思っています。ありがとうございました。

 

2018年度大規模えんたくの記録           ①被害者・加害者・支援者

VOSえんたく

 

V(被害体験がある人)のRT(リフレクティング・トーク)

 

野坂 被害体験をもつ方のお話をうかがいます。

 

V1 めちゃくちゃ緊張します。V1です。今年、50歳になりました。5歳の時に、隣に住んでいた友だちのお父さんから「お医者さんごっこをしよう」と誘われて、何もわからずに被害に遭いました。次が7歳、小学校1年生のとき、当時16歳のいとこが家出をして保護されて「家に帰りたくない」ということで、2週間ほど滞在している間に、2週間毎日、被害に遭いました。そのいとこはどうしているかというと、その2年後、18歳でバイク事故で亡くなっています。子どもの頃の被害というのは、お医者さんごっこということで、殴られたとか、蹴られたり脅迫されたりとかは何もなくて、でも、目隠しをされて、身体の感覚だけが残っていて、ずーっと「あれは何だったんだろう」と思い出し続けて、思春期になった頃に、その意味を知ってからの自暴自棄感。自分の身体は汚れている、価値がないという感じ。親にも「助けて」って言えなかった。いとこからの被害も、初日に親に「助けって」って言えていれば…。(いとこの)行為がエスカレートしていって、身体が破壊されたという、身体が壊れてしまいそうな感覚があって。ちょうど80年代の頃、暴走、シンナー、酒、たばこ、何でもやっていました。そして、自分の身体にも価値を見出せないので、売春をする。「自分の身体売って何が悪い」っていう言い訳をして。とにかく、いつも怒ってましたね。特に、男性に対して怒りが強くて、男性を見下したい、壊したい、攻撃したい。で、結局、1回目の結婚も、今、思うといい旦那だったんですけど、(関係が)壊れてしまって。いつも、(私の方から)喧嘩を売っているので。今の人(夫)と出会って、安心、安全になったことで、過去のことがバーッと出てきてしまって。でも、夫と一緒に向き合うことになって。今は、子どもたちに「プライベートゾーンを触らせちゃいけないんだよ」とか、「よく知らない人にはついていかないというけど、知ってる人でもプライベートゾーンに触れられそうに逃げていいんだよ」と伝えています。あとは日頃から、お父さんお母さんに「助けて」って言えていたらいいと思うので、日頃からなんでも話し合える、とくに泣きごとを言える関係を作らないと、と。そういう家族関係を作ることで子どもを守れるということで、“桜梅桃李”というところで「泣いていいんだよ」というのを伝える活動をしています。

 

V2 私は、父親からの性的虐待を受けて、3歳くらいから中学生くらいまで、毎日くらい、お風呂とか寝てるときとかに受けてました。今は、母と一緒に逃げて、少し前から、父親に対して裁判を起こしているところです。最初、家を出て1年くらいは、されてたことを覚えてなかったんですけど… 思い出したのは、母も父親から性的暴力を受けていて、それをたまたま見てしまったことを徐々に思い出したんです。家を出たときは、覚えてなかったから、ただ友だちと離れるのが嫌で。今は、裁判の中で話すのがしんどかったりする。でも、「恥かしい」と言ったときに、「恥かしいことしたのは相手だから」と言われて少し元気になったり。(性的虐待のことを)思い出す前は、なぜかわからないけどしんどかったり、夜が恐かったりしていた。例えば、お風呂入ってるときとか、目つぶってるときとか、トイレも怖かったんですが、それが虐待にあっていたということを自分に当てはめたときに、見えないところとこわいというのがつながってるな、とわかった。なんとなくしんどいのも、最近、「虐待があったからや」と当てはめた時に、すごい納得できるようになってきて、それで解決したわけではないけど、少し元気になってきています。

 

V3 こういう場で話すのは初めてで、どうしようと思ったんですけど。私は、2010年の3月に、海外で、行きたかったある場所に行くまでの経由地で1日滞在する間に、見知らぬ人、知らない国の知らない人から、最初は、声かけられて拒否していたんですが、急に殴られて、日本では想像つきにくいと思うんですけど、その辺にあるこぶしくらいの石で頭を殴られ続けまして、頭も顔も。殺されると思って必死に抵抗もしましたが、なんでこんなことをされるのかもわからずに、殺されると思って、恐怖だけがのしかかり、抵抗してても弱っていく。力の差で、抵抗できない状態になって、「もう死ぬんや」と思ったときに脱がされました。その時に、(倒れた地面が)どろどろってして、暗くて、どろどろしたところで・・・(涙)、その上でされました。難しいな。何があったかというと、そういうことでして。「死んでいるようなのに(レイプを)するんか」と。私は死んでるかもしれないと思ってたんですけど、助けられまして。助けてくれたのは、通りがかりの、その国の非番の刑事だったそうですが、見つけてもらった人が救いで、警察とか向こうの病院にもつながったんですけど、日本には存在しない事件です。治外法権なので、何が起こったかを知る書類も読めない、面通しもわからない言葉で。日本にいつ帰れるのか、自分はどうなっていくのかわからないままで、ただ通訳の人だけが頼りで、でも、それもお金がいるのですが、お金もとられているので、頭も回らない状態で生き延びたのが8年前。ここで、そのプロセスを全部語ることはできないですが、ここに臨んだきっかけは、暗黒な時間が長かったんで、同じような苦しみを味わった人がしゃべりたいとか、生きてしまったから仕方ないけどどうやったらいいかわからへんというときの道しるべを探しているときに、こういう場があれば聴きに行けたかなと思ったからです。

 

野坂 一巡して、今、思うことをお話しください。

 

V1 被害者同士で話をするというのも、8年くらい前からそういうことに関われるようになっていて。それまでは、自分の被害のことを言うと「汚い」と思われるとか、“被害者あるある”なんですけど、「あなたは、妊娠しなかったから(よかった)」と言われるような、被害者同士で傷つけあうようなこともありました。MixiSNS)で被害の話をしたときに、知らない人から「あんたはいいよね」って言われたなって。でも、今、二人の話を聞いていて、「私の被害なんて、たいしたことないよな」とか、「二人のほうが大変で、よくここまで生き延びてきたなあ」って気持ちも湧き上がってくる。比べるものではないんですけど、かつてそういう気持ちがあったなあって。憐れんでほしいのかってうとそうじゃなくって、全然そうじゃない。人とつながることの大切さというのは、しみじみ思っています。V2が、若いうちにつながれてよかったねって。そう言っていいのかわからないけど、私は40歳すぎて、やっと(被害に)向き合うようになって、何も資源もなかったし、心のケアが必要とかもわからないし、どこに行って、だれに話してよいのかもわからないし、話したところで「あんたが、おっちゃんとこに行くからいけない」と、きっと責められるような。[午前の講演での]落ち度の話は、今、みんなが正しさをふりかざす戦争をしてるのかなって思います。

 

V2 ・・・聴いてて、辛い状況とかわかるし…

 

V3 自分にあったことを話して、だれからどういう言葉があったかというのを思い出します。私の場合、海外に一人で行ったわけで、自分の人生で行きたいと思って、計画も立てて行って、勉強のために行ったんですけど、「そんな目に遭ったのは、あんたが一人で行ったから」と言われたのはしんどかった。その人が、何のために言ってるのかわからないから、その後、人間関係が壊れてしまう。そういう言葉を言う人を避けたくなる。死にそうになったんですけど、呼吸もおかしいし、眠れないとか、生命の根源的なことができないときに、「生きてしまったけど、死ぬんやろうな」と思ってたときに、さらに追い打ちをかけるというか、辛いのが言葉。私は知らない人からだけど、お二人は(加害者が)知っている人ということで、すごいしんどかったやろうなと想像します。一人の存在が大きい時に、知っている人だからこそ言えないことが大きかったやろうなと。

 

O(加害体験のある人)のRT

 

毛利 緊張感があります。ようこそお越しくださいました。ご自身の経験と気持ちを。

 

O1 私のしてきたのは、痴漢行為をしてきました。正直言って、今、胸がドキドキしているんですけど、実の娘に対しても性的行為をしようとしたことがあります。痴漢行為は通勤時、初めて電車通勤をして身動きできないときに、この時間を何とかしたいというのと、会社に行きたくないとき、女性が目の前にいて妄想を、たまたま座っていて手が当たっているときに、そこに意識を集中したときに、マスターベーションでは感じられないほどの興奮を感じてしまって、日常的に起こることになってしまいました。ネットカフェで動画、最初は映画を観てたけど、「ちょっと気持ちを変えたいな」と思ってアダルトを見て、痴漢サイトで衝撃的な映像を見てしまって、「自分でもできるんじゃないか」と思うようになって、出勤時の痴漢行為がエスカレートしていって、結局、捕まりました。3回、捕まりました。1回目、捕まってから、やめてた時期もあって、その間にアルコールがひどくなって、その自助グループに通って、その間に性的なものも止まってたんですけど、妻との関係が悪化してきたときに出会い系サイトにハマッて、「自分を理解して欲しい」「相手を見つけよう」と思って。最初は、無料でやってたんですけど、そのうち小遣いで払うようになって、気づいたらクレジットを使うようになって、それが妻にバレて、さらに関係が悪化して。お金の面では、実家で補償してもらったんですけど、結局、一度も出会えなかった。お金だけとられて。それに対する被害意識があって、女性に対する恨みみたいなものが出てきて、気がついたら、また行き帰りの電車で(痴漢行為を)するようになって、気づいたら始まったときの状態にすぐ戻って、すぐまた捕まりました。それじゃぁ、アカンと思って、性の自助グループにつながったんですけど、先行く仲間との関係性にも問題があって、気づいたら再開して、3回目、捕まって。それから今、3年・・・4年目ですけど、なんとか手放して生きている状態です。

 

O2 20代のときにのぞきを始めまして、約20年くらい、ちょっと間が空いたときもあるんですけど、合計4回捕まりました。きっかけは、20歳くらいのときに、とある大学の学園祭で友だちとナンパしていて、女性の家に入って、友だちも呼んで、肉体的なことも初めて経験しました。それまでは、つきあっている相手もいたんですけど、女性の部屋に入るのは初めてで、薄着であったり、良い匂いであったりとか、下着も干してあって、すごい興奮したのも覚えています。お酒も入って、どんちゃん騒ぎして。忘れられなくなって、自分一人でやるようになって。そのうち、夜になると、カーテンが空いていて電気がついていると、普通に(室内が)見れるところがあることに気づいて、「すごい楽だな」と思った。すぐ捕まって、就職して、いつでもやめられると思ってたんですけど、もやもやすると思い出してしまって、自然と足がそっちに向く、結局、4回捕まって、最後に捕まったのが1年半前。“もふもふ”を弁護士さんに教えてもらって、勉強させてもらってます。

 

毛利 今の気持ちは?

 

O2 けっこう、覚悟いったんですけど。でも、自分がやってきたことなんで、どこかでけじめをつけたい思いがある。最後に捕まったときに、妻はその前の3回のことを知らなくて、全部知ることになって、両親も・・・向こうの両親、親族すべて、会社の人にも全部さらけ出して、そのうえでやり直すのであれば、ということなので。

 

O3 すごい、こわいです。捕まったことはないんですけど、性犯罪で。被害の方の話を聞かせてもらったり、最初の講演聞いて、10代のとき、薬物とかお酒もあったんですけど、1日に4人とか関係持ったり、1週間とか2週間続いたり、仕事が水商売だったので毎日違う女性と、ということがあったんですけど、自分の基本にあったのは、愛されたい、人を思うように使いたい、自分が望むようにしてくれることを愛情と思うような・・・ そういうのがあって、自分が望む性行為を、ひどいようなことでも受け入れてくれたら「愛してくれるんだ」としか思えない。それが、相手がどうとか考えたこと、なかったんで。

 

毛利 こわいとおっしゃいましたが。

 

O3 最初は、藤岡先生に「話してくれ」と言われて、あまり抵抗なかったけど…。自分の話すことを、それを受けた人の話を聞くことが、みんなから睨まれている、裁かれているのが恐い。慎重になっている。普段は「頑張ってる」ってみてくれてるけど、まったく違う感じ。

 

V(被害体験がある人)のRT <2回目>

 

野坂 今、思うこと、話したいことをお願いします。

 

V1 すごい、ドキドキして。被害の話って、ある意味、話しやすいのかなって。加害の話をするのってすごいなって。私も実は、“もふもふ”の「たぬき(の会)」のなかで、自分が5歳の被害のあとに、3歳下の弟に加害をしていたことを、ぼんやり、事実としては覚えていたけど、それが加害だったってことを思い出して。お医者さんごっこでされたことを弟にさせたりとか、結局、自分、加害者じゃないかと。今まで被害者面して、結局、自分、加害者じゃないかって。「たぬきの会」では、大暴れして失礼しました。でも、それがきっかけで、弟と話ができて、でも弟は「覚えてないし」みたいな、「そんなん、姉ちゃん自分を責めんでいいよ」とか。なんで、5歳の子どもにこんなことするんだよって! 今は、そのおじさん(加害者)もどうしているのかわからないけど。お話聞いていて、セックスを伴わない、性器を伴わない健全なスキンシップ、とくにお母さんとの愛着、健全な夫婦のコミュニケーションだったり、まわりの人たちに「よしよし」されていたら、性器を使う行為に執着しないんだなあって。改めて、「親子広場って大事だなあ」って。

 

V3 こういうふうな場で話すことを通じて、わかって欲しかった。しゃべる状態になってから、少しずつ伝えていっている人、いると思うんですけど、しんどい時に「しんどい」って言えない、「助けて」って言えない。どのようにしんどいか、伝える言葉がない。コミュニケーションを遠ざけるくらいのダメージを受けてしまうので、想像していただくととてもありがたいという部分がある。今こうしてしゃべれるまでの10年、死ぬまで薬漬けだったり、しゃべれるっていうことになるまでに、膨大な力を借りてやっていけるけど、そこにたどり着いていない人がまだどれだけいるかということを考えていました。

 

野坂 V2さんは?

 

V2 ぞわっとするものが・・・。虐待・・・ 虐待やけど、精神的な、ずっとつきあっていかなアカン。それが課題かもしれんけど、ずっと付き合っていかなあかん。頑張っても・・・。

 

V1 とくに、性犯罪って再犯性が高いって。本当に、安心・安全な家族や地域のつながりだったり、泣き言が言える社会が大事。今、活動しているなかで、加害者の方には、人とつながっていただいて、幸せでいて欲しい。安心・安全が壊れることで加害の症状が起こるなら、「みんなで仲良くしようよ」って。いとこは亡くなっているので、どうこうはできないけど、もし生きていたら、彼の家庭環境は知っていて、お父さんから虐待受けていて、私も父親から受けているんですけど、「つらかったね」って声をかけたい。当初は、復讐心しかなくて、でも、そうしたら同じ加害者になっちゃう。許すとか手放すではなく、理解するに近いのかな。自分も、加害に近かったし。

 

V3 自分はまだ、そこまでたどりつけていない。どうすればよいのかわからないけど。もし、(加害者に)出会ってしまったら、殺すかもしれない。抑えられるかわからない。遠くでよかった。今の状態を言うなら、無視。心に均衡を保つためには、無視っていう状態なのかな。理解するとか、赦すとか…。友だちに「許せるの?」と聞かれて、どう答えていいかわからなかった。自分が今、しんどい割合とか、切り替え方がわかったりして、越えられることとか増えたんですけど、まったく違う人生だったり、いろいろな選択や状況が変わったことの、それくらいしんどいという気持ちと向き合いたくない。それで、無視してんのかなと。

 

O(加害体験がある人)のRT <2回目>

 

毛利 心に浮かんでいることを。

 

O1 自分が加害をしてた頃っていうのは、本当に自己中心的で、まったく関係のない他の人にその気持ちをぶつけて、やってた当時というのは、「この程度だったら許される」とか、「他の人もやってる」とか、被害を受けた人の人生にどれほど影響を与えているかなんて、想像できてなかった。自分の子どもに対しても加害をしようとしてたとき、出会えなかったときに「身近にいてるやん」っていう狂気ですよね。(加害に)及ぶことはなかったんですけど、タイミングよく、妻が声かけてくれたんで。声かけられてなかったら、やっていた。自分の中の狂気を行動化に結び付けないために、仲間にためていることを話すことが大事なんだなと思いました。

 

O2 捕まったときの刑事さんを通じて、被害に遭った方の状況を教えていただきました。今日、聞いているような話で、当時は「間接的」という気持ちがありました。「それぐらい」という気持ちが、正直ありました。学ばせていただくうちに、考え始めています。わかるとは言い切れないですし、謝っても謝り切れないし、自分ができることは、まず自分が同じ過ちを犯さないこと。自分と同じ人たち、たくさんいると思いますが、そういう人たちにメッセージを届けられたらと思いますが、まだまだそんな偉そうなことは言えないですが、自分と対話しながら生きている状態です。

 

O3 最初は、「こういうのをして、どういうふうになんのかなあ」と思っていて、午前中の話を聞いて、(自分の場合は)事件になったりはなかったけど、「全部が暴力やったんや」というのがわかった。途中くらいで、聞いてて、申し訳ないんですけど、嫌な言い方なんですけど、「じゃあ、何せえって言うんや」って気持ちになったんです。聴いてて、「知っててほしい」って言われて、それを受けた人がどういうふうに感じていたかと知るっていうか。謝罪は相手は「してくれるな」と、でも「知ってほしい」って。加害の人、こっちでしゃべって、被害の人、そっちにいて、それだけですけど。

 

O1 今、私の状況を言うと、家族とは離婚して、一人で暮らしているんですけど、その中で感じているのが、家族と暮らしているなかで、自分がいかに自分を出さずに、自分を押し殺して生きてきたのかというのがわかる。「よい父親でいなければいけない」とか、「自分はしんどいけど、いつもニコニコしてる」とか、本音が言える家ではなかったなぁと。自分にも責任はあるし、家の親と妻との関係とか、そういうところもあるんかなあと思って、間に立ってみたいなことがよくあったんで、それがしんどかった。子どもたちの進路のこととかでも話し合うんですが、ころっと考え方が変わることがあって、自分の言いたいことを言えて、調整できればよかったんですけど、それができなかった。日常的にある話なのかもしれないですけど、それを発散するのに性的なものを使う。今、一人でいいかっていうと、人は人とつながっていないと生きていけないのかなぁという感覚があって、自助グループだけじゃなくて、新しいつながりを持とうとしています。自助グループのなかだけなら自分の話をしやすいんですけど、新しいなかで話そうとすると、自己嫌悪というか、「自分はどうせ性犯したんやから」とか、そういうのが先立って、深い人間関係ができない。そこが難しいと感じている。

 

O3 さっきの、逆ギレしそうになった。「自分が責められている」っていう。自分がそうやって、ひどい人をモノみたいに思っていたんですけど、自分はもともと、人を信じられない。43歳なんですけど、いまだに性欲とか愛情とかわかっていない。愛情よりも性欲が勝つというのはあって、性欲が愛情を奪い去っていく、勝つっていうのがある。自分がええかげんにしてきたことが、結局、人のなかに愛情があっても、性欲が勝ったときは愛情を裏切ることになるのかなと。最後に納得できたんは、「知ってほしい」「想像してほしい」というのを聞けたこと。

 

V(被害体験がある人)のRT <3回目>

 

野坂 今、思うことを共有して、終わりにします。いかがですか?

 

V1 怒りがないわけではなくて、怒りはずっとある。ただ、自分の怒りの衝動性っていうか、16年前に離婚したとき、すべてを失って帰る実家もなく、借金を抱え、息子も失ったときに、さっきのO3さんの「逆ギレ」って聞いて、(自分も)福岡の天神を歩いていて、幸せそうに歩いているカップル見て、「今、金属バットを持っていたら、こいつら、カチ割る自信はある」くらいの衝動性というか、怒りというか、キレやすいという父親譲りの部分がある。それを自分なりに理解して、爆発しないようにしてる。「きれいにまとめようとする自分がおったな」と。でも以前は、そういう自分を「ダメだ」と思ってたんだけど、今は「爆発しないように理解して、コントロールしよう」としている。被害とか加害っていう線引きもいらないのかなあって。人間は人間である。線引きはいらなくって、って感じ。

 

V2 今、思うのは、認めて欲しいということ。相手のことを考えると、「なんで、こんなことしたんやろう」と。 家庭環境とかも…。自分は家を出られたから変われたけど、家を出てなければ、人と関わっていくことによって変わっていきたいなと思う。自分は、相談したことで変われたから。

 

V3 さっきのそちらの2回目を聞いていて、その前より慣れたのかわからないですけど、話が入ってきやすくなって、「本音でしゃべってはんのやな」と思った。私もそうやけど、被害・加害って、毎日、被害者や加害者で生きてるわけではないけど、忘れないものですよね。想像し合うっていうのは、忘れはしないけど、覚えておくとか、たまに思いをはせるとか、そういうことなのかなと理解させてもらいました。「奪ってしまった」とかの加害が、衝動っていうことで片づけられるのが本当につらい。そこは、自分の歯止めにできたらいいんやないかなと思います。

 

V(被害体験がある人)のRT <3回目>

 

毛利 今のお気持ちを。

 

O2 今の話、まさにそうで、「衝動だ」とか「もやもやした」とか「孤独だ」とか言いますが、それを原因だとしてはダメで、なぜ、そんな気持ちになるのか、その自分の状態を考えるのが大事と思います。大変ありがたいんですけど、私がもし、被害者の親や彼氏だったら「許せない」という気持ちがあります。(自分は)本当に幸せになっていいのかな、という気持ちがある。自分はこういう人間になりたい、というのはあります。「本当は、こういう人間になりたかったんじゃないの?」ということを自問自答しながら毎日を暮らしている。自分の場合、モヤモヤを抱える理由は100%対人関係のこと。正体のしれないモヤモヤは、対人だった。

 

O1 気安く引き受けたけれど、ここの場に入るのに勇気がいった。直接、被害の方のお話を聞けて、今後の自分にすごくプラスになった。捕まった翌日に、長女が痴漢にあった。そのとき、怒り心頭で、「何で逮捕されないんだ!」と思った記憶がある。自分のことを棚にあげて。妻に聞いたんですけど、「お父さんも捕まったから、言わないんだ」と聞いた記憶があります。

 

O3 午前中に質問したかったんですけど、加害のなかに自分はいたけど、被害のなかにも自分はいて。最初、話をしてから、自分にもプラスとマイナスはあるし、それをこっちのグループでも向こうのグループでも聞かせてもらったような気がする。どっかでつながっているのかなあという気がしています。

 

●会場(外円)とのRT <全体>

 

毛利 ここまでお聞きになって、今の思いなど、何でもお話しください。

 

参加者(女性1) 私は被害体験があるんですけど、このことに対して、「自分は傷ついていない」っていうふうに感じていて。レイプされたんですけど、普通に、何事もなかったようにすごしているような気がしていたんですが、たぶんその反応で、性行為のハードルが下がってしまって、恋人じゃなくても「求められたら、抵抗すんの、めんどくさいみたい」なのが続いて、それでその後、自己嫌悪みたいなループが収まらないまま、20年、さっきO3さんが言ってたみたいな、性欲が愛情を上回って、それによって裏切られた感じとか、「結局、人って性欲なんだ」っていう不信感とか、残念な感じに、すごい共感するなって思った。友だちでも、そうする関係になったことによって、それの方が優先されてしまって押し流されて、愛情が感じられなくなるのが恐いから。性欲のときに恐くなる。被害者側に共感すると思ってきたのに、意外と、こっち(O)側に共感できるのがわかって、被害と加害には、きっちりしたボーダーがあるわけじゃないんだな思った。

 

O1 今、振り返って思うんですけど、自分が求めていたものは「性欲」じゃない気がする。「渇望」っていうか、「愛されたい」とか「受け入れてほしい」とか、あとは「ドキドキ感」。ギャンブルに近いのかもしれない。性というと、行為としてはセックスになるけど、痴漢とかして、一時は気持ちよい気がするんですけど、すぐ虚しさとか渇望とか起きるから、本当は違うんだろうなと。

 

参加者(男性1) 官民協働刑務所で、性加害した人の再犯防止を10年近くしています。ふだん、臨床に取り組んでいますが、被害者の言葉を聞く機会がほとんどない。内容としては、本を読んだりして知っている知識、想像していた内容と変わらないと感じている。でも、自分の身に置き換えたときに、それをこの場で話していることが知識レベルとは違う。話すことが行動に結びついていることは、重みがある。午前中の野坂先生の話で、被害者が回復していくために必要なこととして「自分を許すこと」とあったが、加害者でも、到達点はそんなところにあるのかなと思っていて、「人として」ということを念頭において関わっているが、実際に、加害をした人たちは彼ら自身がそれを受けつけない。社会から、ふつうの生活をしていくことを許されないということに傷ついていて、そこから回復していくことが難しい。もしかすると、加害者の方がそこの部分が難しいと感じている。

 

参加者(女性2) 支援者への質問ですが、野坂先生が「急いで、被害と加害の両方を扱おうとするのは危ないのでは」と言っていて、私も被害者には「寄り添うのが大事」と思っていて、互いに知ることは必要と思うのですが、加害者の支援なり教育のなかで、被害者のことを知るというのはできつつあると思うのですが、一方、被害者支援のなかで加害者のことを扱うことはタブーな気がしています。被害者支援の人が加害のことを知って、どう取り扱っていくのでしょうか。

 

被害者支援S1 支援者として、加害者のことを扱っていくのはありえない。この場に来たのは、加害について知る機会は大事にしようと思っているから。こんな形でお会いすることは、ほとんどない。加害をした人の気持ちをうかがったことは、伝えていきたい。でも、被害者への支援者として、加害者のことを知らなければならないと思っているわけではない。被害者のなかには、加害者にはまったく関心がない方もいれば、なかには「(加害者は)どんな心情なんでしょうね?」と尋ねれられることがありますので、今日、お話しいただいたようなことは伝えることはできるかなと思っている。

 

児童福祉支援S2 加害をした子どもには、「同意があったのかな?」とか「境界線」のことを考えていくが、被害者にも「あなたは悪くないよ」と伝えたり、「真の同意」について考えるときに、加害の子どもに伝えていることを被害の子どもにも伝えることはあります。だけど、被害者に加害者のことを理解しろという伝え方ではありません。「どんなふうに加害行動が起きてくるのか」とか、「どんな思考の歪みがあるのか」を知ることは、被害児が役に立たない考え方に苦しんでいるときに整理するには役に立つかなと思います。

 

加害者支援S3 (所属している)相談所に、加害をした男の子や被害を受けた子の親御さんが来ることがあって、知りたいという気持ちがあった。「こういうことがあると、こういう考えになるんですよ」という話をすると、納得するわけではないけれど、そういう情報を知りたい人はいる。加害者のほうは、自分の被害意識でいっぱいの人もいれば、なかには「自分は幸せになってはいけない」とか、「ブルーシートの上で、野垂れ死ぬべきなのでは」「どうしたら償いができるのか」と迷っている方もいる。これからどうしたらいいか、ということも必要。

 

野坂 支援者が一緒になって「象を恐れないこと」は大事だと思う。トラウマや性暴力といった「象」が部屋を占めていると、それを見ないふりをすることがある。支援者が被害者を慮って、何も伝えないと、被害者が知りたい話を聞けなくなってしまう。支援者が一緒に、象のことを知っていくことが必要だと思う。さきほど、「(被害と加害の両方を扱うことは)急がないほうがよい」と言ったのは、最終的には、被害と加害は裏表なので、両方知るのは当たりまえなんですけど、片方をみるだけでも大変だよね、と思うから。(被害体験のある)3人の話も、どれもすごく重くて、性だけじゃなくて他のかたちの苦しさもいっぱいあった。それを、すぐにわかったふりをしない方がいいなと、改めて思っていて。ここでいっぱいいっぱいになっているのをふんばって、ちゃんと抱えていくというのをちゃんとやりたいなって。それで「ゆっくりやりたいな」って言いました。逆ギレじゃないですけど、「じゃあ、どうすればいいんだ」とか「何すればいいわけ?」というのは支援者にも起こりやすい。あきらめたり、焦ったりせずに、両方をちゃんとみていくほうがよい。急がず、サボらず、丁寧にやるのがいいのかな、と。じっくりいきたいなと思います。

 

V3 「加害者」と「被害者」という人におとすのではなくて、「加害がなければ、被害は出ない」と考えて、加害をみんなで抑えていけたらいいと思うし、一般的に、両方のことを知った方がいいんちゃうかなと思いました。被害者といっても、ぞれぞれの状態にもよるし、「どれくらい(加害者のことを)知りたいのか」「なぜ知りたいのか」もあるので、そこは個々に対応するのがよいのでは、と思います。私は、〔犯人のことが〕気になっていましたが、犯人のことを調べる余力がなかったのであきらめたんですけど、ずっと残る。「なんで襲われたんだろう」とか、「言葉にしろよ、捕まって」って。「こうこう、こうだった」と聞いたらどうなるかわからないですけど、それでも「言えよ」って。

 

O3 すごい、怖かった。自分は加害の方なんですけど、会場みてもうて、反対側にいる人たちが恐い。違う人たちがいることが、どれだけ影響があるのかと。加害者集団になら言えるけど、違う立場の人がいると、「自分は言いたいけど、それは言えないでしょ」ってなる。一つ、犯罪とかそれだけを見たら、加害・被害があるけど、長いスパンでみると両方あったり、野坂先生が暴力の話をしたときに、自分はそれに関して一緒って思った。

 

参加者(女性3) 刑務所や少年院で、女性の支援をしています。被害者の方は女性が多くて、(このイベントでも)被害者が女性で加害者が男性です。ふだんは加害者側を支援しているので、両方、同じように感じられるかと思っていましたが、被害者の語りのときは「支援者じゃない私」になっていて、加害者の方の話は「支援者」として聴いていた。フロアにも、男性の方が少ないですね。男性と女性の断絶みたいなのも感じましたが、そんなふうに感じた方はいらっしゃったかなと聞いてみたい。

 

参加者(女性4) 私は、警察署で支援者側の仕事をしています。被害者の話を聴いて、すごく心を揺さぶられた。被害者の話を聴くのに苦手意識があったのですが、自分のなかでたいしたことのない体験を思い出して、忘れていたような被害体験を思い出さされた感じがするから、被害の話を聴くのが苦手だったんだなと気づきました。支援者としてやっていくには、それをきちんと処理していかなければならない。加害の話のときは平常心で、想像の範囲内だったので、「自分は女性なんだな」と気づきました。

 

参加者(女性5) 私は加害体験のある人の話を聴いて、「自分は何をしていいかわからない」って話、「謝ったらいいのか」という話を聴いたときに、私は父親から被害にあったんですけど、父親に何をして欲しいか考えたときに、自分は、「今、自分が何を感じ、考え、一瞬一瞬、問いかけながら生きている毎日です」という言葉を聴いて、父親がそれをしてくれたらそれだけでいい。謝ってほしいとというより、そういうふうに一生懸命生きてほしいというのを、どうしても伝えたいと思ったので、発言しました。

 

参加者(女性6) 私も被害者の立場で出ることを声かけてもらったんですけど、加害者の前で話すのがどういう状態になるのかわからないので、お断りしました。今日来るのも、ギリギリまで迷いながら来て、いろんな気持ちや怒りも湧いたんですけど、来てよかったなと思いました。私は、父親からの被害で、父親は(加害を)認めていません。お話しくださった人たちが、「やったことを認めて、自分の気持ちに向き合っている」と聞いたので、自分の父親も認めてくれたらすごい気持ちも楽になるのにな、と思いました。

 

V1 最初は怖いと思ったけど、みなさんの話を聞いて、どうしていったらいいんだろうって。みんなが考えを寄せ合うというか、被害者同士で傷つけあったりとか、支援者同士でも「あの人のやり方、ダメだよね」とか、垣根をつくるんじゃなくて、「こうしたらいいんじゃない」とか、人同士で、加害とか被害とか支援とかじゃなくて。加害者は、「これからどうしていったらいいの」って、そして被害側の人から「自分と向き合って生きてほしい」という話が聞けたりとか。傷つけあうのは、もううんざり。支援者同士が何か言ってるのをみるのも嫌だし、うんざり。もっと自分に優しく、人に優しくありたいなって思いました。

 

V2 さっき、藤岡先生が「なんのために支援者がいるのか」って言ってたんですけど、自分は支援者に話を聞いてもらってよかったし…(涙)。加害者の気持ちとかを藤岡先生から聞いて、どう言ったらいいかわからないんですけど、救われました。いいなって思いました。

 

V3 私も救われました。

 

毛利 最後に、サークルの中の人から、一言ずつ感想をお願いします。

 

加害者支援S3 被害者の方の話を聴けて、とくに加害者への思いを聴けて、「自分たちのことをわかってほしいし、自分のことを見つめてほしい」と聴いて、ヒントをもらいました。女性として、性犯罪をした人と関わって、迷うこともあるし、イライラすることもあるし、自分のなかで男女ってカテゴリーを作っていて。加害をした人も、「この人ならやっていい」とか、すごいカテゴリー作っていて、でも、私のなかにもあって。男だから、女だから、加害者だからとか被害者だから、とか。「支援者だからわかっていなければいけない」とか、「こういう発言、しなければいけない」とか。でも、よくわかってなくて。もしかすると、そんなこと考える必要ないのかなと、勉強させてもらいました。

 

O1 正直、私が離婚した直後は、家族を愛してたし、尽くしていた。「なんで別れる」っていう逆恨みみたいな気持ちがありました。別れてから、子どもたちとも連絡とれなくなったんですけど、それに関しても恨んだ時期もありました。けれども、これが今の自分のできる精一杯のことなんかなあと、そういう状態で、毎日、家族の幸せを祈っています。埋め合わせをしようとか、謝ろうとかは、今の自分にはまだ早いし、とにかく今日一日を大切に、家族のことを思いながら、被害者のことを思いながら生きていくことが大事なんだなと、改めて思わしていただきました。

 

O2 少しでもお役に立てればという思いで来たんですけど、まったく重みが違って、本当に重大なことだなって思います。なかでも、「被害者の私たちのことを知っていてほしい」という言葉に救われました。それだけ考えながら生きていきたい。加害者の立場として言えるのは、自分のことを許してはいけないと思う。それを抱えながら生きていく術は、持っていないといけないな、と。自分を許してはいけないな、と。今日、現在の私の気持ちです。

 

V3 来るまで、ドキドキして、行かへん理由を探してたんですけど、来てよかったというか、こういう場になるとは思わなかったというか、設定された方はすばらしいな、と。なんか変な方たちなんですよ。初めて人前で話をしたな、できたなと思えたのは大きいし、縁なんですけど。海外でボロボロになって、帰ってきて数日後に会った方・・・ 警察に電話して「扱えない」と言われて、そのときに話を聴いてくださった方がここにおられて、見守ってくださっていることに、感謝しています。ここに集まった方々の聴く力というか、熱くなく涼しくない、話しやすくて、やさしい雰囲気に感謝しています。

 

児童福祉支援S2 被害者の方も加害者の方も、ここまで自分の気持ちや考えを話せるようになるまでに、右入ったり、左入ったり、戻ったりしながら、迷ってきはったんやろうな。子どもたちと話しながら、めちゃくちゃ迷ってるんですけど、道がまっすぐ見えているわけでもなく、うねうねと続いていくんかなと感じさせられました。

 

被害者支援S1 支援者として役に立てているんだろうかと思うことが多かったんですけど、かつて会った方たちにお目にかかることができて、元気な姿を拝見できてよかったですし、次の支援につながっていくんだろうと思います。こういう場を与えていただいて、ありがとうございました。

 

O3 加害の人と被害の人がどう関連するかわからないんですけど、いっぱい何かを・・・何かを自分が許してほしいとか、ないと思うんですけど、いっぱい期待してくれてるというのを・・・ 言葉がいいかわからないんですけど、尊敬、敬意と思うんですけど、ここに来て、自分の気持ちを話してくれたことを「ありがとう」と思いました。

 

V2 最初、加害者・・・ どうなるかなと思っていたんですけど、最終、今まで加害者の方の気持ちを聴くことなかったし、支援者の方を通して聴くときも、自分の気持ちに向き合っていかなアカン。傷が、ちょっとはマシになったんかなと思いました。

 

V1 小さい頃から、ずーっと子ども同士で遊んでたら、友だちがキャッキャ遊んでて、「いいね、あんたたちは能天気で」って思ってて、思春期からはずっと「死にたい」って思ってて、いろいろあって。藤岡先生と野坂先生に7年前にお会いして、私が体験してきたことの意味づけというか、「死なんで、生きてていいんだよ」って、「体験してきたことの意味があるな」って。チャラッと来たけど、「まだこんなに揺れるんだ」って驚いたのと、「みなさんも揺れてるんだ」と知ることができて、これからこれをどう生かしていこうかな、と思えています。

 

野坂 自分の話をすることに取り組んでこられた方と、聴く人がいて成り立つ場だった。被害も加害も、言葉を奪われてしまう。何も言えなくなるし、話しても信じてもらえなかったりする。だから、被害や加害の話をちゃんと聴くということが問われる。今日は、じっくり聴く体験ができてよかった。

 

 

藤岡 さっきジェンダーの話が出た。私、おばさんだかおじさんだか、わからない生き方してるんですけど、性の被害と加害だけでなくて、法務省とかで勤めていても、男社会のなかでは男性が勝手なことを言って、カリカリする。おばさんたちのなかでは、おじさんたちの悪口を言っていて、言いたいことを陰でしか言えないっていうのはどうなのかなと思っていて、ちゃんと伝えあうことが最初の一歩かなと。私は未熟者なので、途中からカリカリしていて、「被害者の支援者って嫌いだ」って思ったり、加害者と会っていると、自分が「被害者」って言い間違える、「自分は被害者」だと加害者たちが言っていて、でも、「自分も被害者だと思ってるな」と思って。関係があるなかでは、そんなに被害者と加害者の線は引けないもの。自分のなかに、被害者性も加害者性もある。そこと向き合って、言葉にしていくのが仕事と思っている。V1さんが「みんな仲良くしようよ」と言ったときに、私が一番、ことを荒立てているなと思って反省しました。そのうちに、フロアの人が「自分も被害を受けて・・・」という話をしてくれたことがうれしかった。伝える場、聴く場があるのが大事と思っていて、それが遠回りに見えて、私たちが幸せに生きていくのに近い道なんじゃないかなと思います。今日、話してくれた方々、聴いてくれた方々に感謝します。自分の気持ちや考えにきちんと向き合って伝えていく世の中、そういうことが許される世の中に、一緒にしていけたらいいなと思います。

②性問題行動への治療教育的アプローチ~これまでの10年、これからの10年

藤岡 今日のリフレクティング・トークを用いた『えんたく』について少し説明させていただきます。石塚先生の話の中の、沖縄式『えんたく』というのは、課題共有の『えんたく』でした。私たちが今日行う『えんたく』は、課題を共有するというよりも、思いを共有する、回復を支える、そのような気持ちや考えを分かち合うことを第一にしています。目標によって、グループを使う、あるいは本日行うリフレクティング・トーク方式を使うなど、さまざまなテーマや扱う内容によって、方法は少し変わってくると思っています。

 本日の場合は、性加害行動をなくすということが目標にありますので、自発的な同意の上の関係に満足感を得ること、それには親密でリラックスしたコミュニケーションができることが重要です。性被害からの回復についても安心、安全、エンパワー、人々との絆の回復が大切になります。社会にとっても、性暴力をなくすためには、一人一人が尊重される社会で、一人一人が外に対して自分の思いを伝える外的会話、自分自身の中での考えを深める内的会話、その両方を行っていく必要があります。『えんたく』には、いろいろな方法がありますが、本日は、外的会話、内的会話を深めていくことに適していると考えられるリフレクティング・トークという方法を用います。これはまなざし、まなざされる関係、思いを共有するような、伝え合うような、まなざし、まなざされる関係を促進する会話の方法だと考えています。

 具体的には、真ん中に二つ、本日の話題提供者の人たちのサークルがあります。サークルというのは、上もなければ下もない、始まりもなければ終わりもない、皆が同じ高さの椅子に座り、お互いの顔がよく見える関係性です。一つのグループは、これまで性問題行動に対する治療教育的アプローチを経験したことがないかたがたです。お一人は、ある児童相談所で心理士をされている中村さんです。これからグループを始めようかというところで、参加していただきました。次にある市の人権教育課長の太田さんです。市で性問題行動での対応を迫られている部署におられる方です。3人目が、朝日新聞の大久保さんです。一般ではないけれども、一般ピープル代表です。4人目は、性被害児を持つお母さんのエミちゃんです。被害児の母として、どのように加害者のプログラムに、反対なのか、賛成なのか、その辺りの思いを伺いたいと思います。

 もう一つのグループは、これまでに性問題治療教育を体験したかたがたです。お一人が、大阪府の児童相談所の児童心理士の丸橋さんで、一緒にプログラムをしてもらっています。次が、児童自立支援施設の園長で、林さんです。その施設は、プログラムが入って、5年になります。園長として、いろいろと援助いただいていますし、考えていること、感じていることをお伝えいただけるのではないかと思います。3番目が、養護教諭の船木さんです。『境界線音頭』を作曲した方です。そのように話しても分からないかもしれませんが、境界線を知るために、この範囲を境界線という音頭を作られた素晴らしいクリエーティブな方です。最後は、性加害行動からの回復者で、タダシさんです。タダシさんは、SAや、もふもふのグループにたくさん参加をして、グループでの教育、回復について、たくさんの実体験をお持ちです。この二つのグループを真ん中に置いて、外円に聞いてくださるかたがたに座っていただきます。

 実際にどのようにするのかというと、本日のテーマは、性問題行動への治療教育的アプローチは必要か、必要だとすれば、どのように行うのか、といったことが、どのような思いを持っているのかという辺りがテーマになります。リフレクティング・トークの方法としては、ファシリテーターとして、まず野坂がいます。野坂から順番に参加者1234というように、話を聞いていきます。普通に会話を進めてくれればOKです。グループの他のメンバーや聴衆のことは気にせず、野坂を見て、11でささやいて話しているかのように話してください。他の人は、とにかく聞いていてください。

 そのグループ全員から話を聞いた後に、今度は、もう一つの体験した人たちのグループに行き、毛利から、同じように1234と聞いていきます。次はもう一度野坂のグループに戻り、同じように4人に伺います。そしてもう一度毛利のグループに戻り、同じように4人の方から伺います。休憩を取った後、最後に全体での話し合いを行います。

 トム・アンデルセンというリフレクティング・トークを創始された方の書かれた図です。最初見たときは何のことかという感じですが、リフレクティング・トークというのは、1人の人が話をして、その話した声が耳に入り、相手の中でもぐるぐると回ります。ぐるぐると回った後に、その人からまた話が出ます。この人は、自分で話した声を聞いて、自分の中でもぐるぐる回っています。またこの人が話した言葉も聞いて、ぐるぐる回ります。要は、話を聞くことと話すことを分離します。話すことと聞くことが同じように大事です。聞くことにより、自分の中の思考を深めるというところがポイントになります。それでは、野坂さんにバトンを渡します。お願いします。

 

野坂 始めます。よろしくお願いします。

中村 よろしくお願いいます。

野坂 お立場、お名前をお願いします。

中村 某児童相談所の児童心理司をしています、中村と申します。

野坂 ありがとうございます。本日おいでになったきっかけや気持ちなどは。

中村 きっかけ自体は、今年度に入り、もふもふの研修を月1回受けさせてもらう中で、この話をさせていただいたことが一つです。もう一つの中では、やはり、もふもふをする中でというところと、実際、うちの児童相談所で起きていることでということで、性加害のケースというのは、年々増えていますが、本年、いよいよ増えたという感じになり、本当に倍々にとても増えてしまっています。お願いする施設でも、パンパンな状態で、しかも施設の中でも、同じような問題が起きてしまいました。施設内でも大変、外でも大変というところがあり、これは何が起きているのだと、本当に私たち、児童相談所の職員、皆、そのような話になりました。

 この話をいただく中で、グループは、いいみたいという話が出ました。予算が確保されて、来年度始めたいというところになりました。

野坂 実際に相談を増えてきて、対応に迫られて大変だと。でもグループをするという芽生えが出てきたのですね。

中村 はい。最初のときは、あまりグループといいますか、個人的に性加害の問題は得意ではありません。正直そのように思いながら、児童相談所は出戻りになりますが、異動で帰ってくると、たくさん増えており、やはりやらなければいけないということもありますし、被害の方の支援をしていて、加害支援もとても大事だという必要性を感じたことが一つの理由です。

 もう一つは、やはり先ほど被害と加害は、人を孤立させるという話になっていましたが、支援者自身もとても孤立させられるようなイメージがとてもあり、一時期では、関係機関で大変だとなりますが、児童相談所お願いしますというように終わりになってしまいます。何事もなければ何もありませんが、また再犯といいますか、何かあれば、何しているのかという感じになってしまいます。どんどん孤立化すると思いました。その中で、新たにグループとなれば、皆で考えることができるというところがいいのではないかと、今、思っているところです。

野坂 児童相談所として、任されてしまうという大変さもあり、苦手な気持ちがありますが、グループに何か希望を感じているのですね。

中村 そうですね。やはり私は、他の性問題ではなく、子どもたちのグループをさせてもらうこともありますが、子ども同士が言い合う雰囲気など、一方的に教えるのではなく、子どもが気付き、他の子が気付く、意見を言うなど、そちらのほうがとても実りがある感じがします。こちらの支援をする側も、やはりいろいろなことを教えていただけると思いました。それが多分性問題の対応につながる、教えてもらうことがあるのではないかという、自分の中の期待などがあります。

野坂 グループそのものが、実りがあるものだという感覚をお持ちで、性加害のグループにも期待感があるのですね。

中村 そうですね。それが皆で、どうしたらいいのか、駄目だ、やはり無理だというようになるかもしれないという気持ちと、どちらかと正直、今は分からないと思っています。

野坂 何かまだ見えないところもあるけれども、孤立しているよりも、皆で、取り組める感じになれるのですね。

中村 そうですね。それはとても大事な感じがして、結局答えはないような気もしますし、勉強する中で、やはり本当に正したい病のように出てしまうこともあります。皆でいくと、分からないけれども、これでしようというように、それのみではいけないとは思いますが、分からないことや、不安なことを抱えるのみの器みたいなもので、グループですと、もしかすると強くなるかもしれません。反対に駄目になるかもしれませんが、グループで支え合える力のようなところは、私の体験としてあります。何か打開することができるのではないかという期待を持っています。

野坂 そのような大丈夫かという気持ちも、やはり考えられるような、そのような期待があるのですね。ありがとうございました。

中村 ありがとうございました。

野坂 本日は、来ていただいてありがとうございます。お立場と今の気持ちをお願いします。

太田 大阪府内のある政令市の教育委員会の職員をしています太田です。先ほど紹介の中では、対応せざるを得ないという形で紹介いただきましたが、先ほどもチームのような話がありました。実は本市もいろいろな取り組みをしてきました。その中で、子どもたちを取り巻いている性暴力に対する危険といいますか、そのようなものが先ほどもいろいろな方と話をして、スマートフォンなどで、すぐ横に広がっています。さまざまな事象が起こったときに、どのように対応していくのかということで、庁内で、私はもともと学校の教員です。教員の立場の人間のみではなく、いろいろなセクションの人が集まり、どのように対応していくのかという話をしました。

 そのような中で一つ出てきたことは、性暴力に関するようなことが起こったとき、あるいは起こさないために、どのように学校・園はすればいいのかということです。私はあくまでも教育委員会ですので、学校・園として何ができるのかということを示していかなければいけないということで、一つそのようなガイドライン、マニュアルなど、まだ分かりませんが、そのようなものを作ろうということがきっかけになっています。こちらに座ってみての心境ですが、皆さまの注目が集まり、怖いと思っています。本当に何か本日は私自身もつかんで帰りたいという思いでいっぱいです。

 本市は、国内では初めてセーフシティ・プログラムに取り組んでいる市でもあります。誰一人被害者にも加害者にもしない、全ての女性、子どもを守る社会を作りたいという思いでスタートしています。その根本にはやはり子どもたちを守りたいという気持ちでいます。本日のトークテーマに沿うことができるかどうかは分かりませんが、よろしくお願いします。

野坂 ありがとうございます。根底には、子どもを守りたいという気持ちをとても持っておられます。かつ学校でできることを考えているわけですね。

太田 はい。学校・園でできることは、やはり保護者を除けば、一番身近な大人ではないかと思います。やはり私たちがいろいろなことをキャッチする、あるいは未然に阻止できるものはする、起こったときにはということも考えながら、取り組んでいくことができればいいと思っています。

野坂 学校・園で取り組んでいこうという気持ちと、実際の現実を見たときの、今の個人的な気持ちはいかがですか。

太田 例えばデートDVの研修をする、ネットいじめの防止研修のようなものを、子どもたちの授業として、小学校、中学校で、それぞれ1学年は全員にクラス単位で受けてもらっています。いろいろなことはできてきたと思いますが、今回、性暴力について、真正面から立ち向かうことは、今回が初めてではないかと思っています。いろいろなかたがたがようやくスタートラインまで来ましたねと言われていると思っています。またその謙虚な気持ちと、これからだという気持ちは持ち続けたいと思っています。

野坂 性暴力、性問題にダイレクトに扱うことは初めてということですか。

太田 初めてといいますか、真正面からという意味ではそうです。今まで学校で行われる教育活動の中で、このようなことができるということで、どちらかといえば先生の研修や、教える内容を考えるという話でした。実際にそのような事象に対して、どのように立ち向かっていくのかという意味では、初めてではないかと思います。

野坂 研修をするということを越えたところに、次は進もうという形ですか。

太田 べからず研修と私たちは言っていますが、何々をしてはいけませんということのみでは、子どもたちに対しても、今はスマートフォンをしてはいけません、LINEはやめておきなさいと言うのみでは、何も生まれないのではないかと思います。本当に今のことを知った上で、変えることができるところは変えていきたいと思っています。少し前に進めたのではないかということが、正直なところです。

野坂 ありがとうございました。次に行きます。お願いします。

大久保 ある新聞社で記者をしています大久保です。座談会に参加することになった経緯は、私も中村さんと同じで、今年、勉強をしたいと思い、もふもふの研修に参加させていただきました。その中で、一般ピープル代表として出てほしいと、藤岡さんから言われました。一般ピープルではないかもしれませんが、参加させていただきました。

野坂 言いたいと思うところがあれば、どうぞ。

大久保 前回の豊中の『えんたく』は、外側にいて拝見していましたが、時代は少し変わってきたのではないかと感じているところです。子どもの虐待の問題も20年程度見ていますが、その頃から性の問題は、非常に問題だと思っていました。社会ではほとんどタブー視されていたと思いますので、あったけれども見ないふりをしている社会、会社、学校現場、たくさんそのようなものがあったように感じました。

 今は、これでも一般社会の中では、とても特殊なかたがただとは思いますが、これだけのかたがたが取り組み始めていることは、とても変わってきていると思いますし、そのことを私は、もっと一般に広げていくことができればいいと思い、こちらに来ています。しかしこちらで聞いたことが即記事になるわけではありませんので、安心していただければと思います。

野坂 ありがとうございます。20年記者の仕事もしながら現状を見られていて、風向きが少し変わってきた感じを実感されているのですね。

大久保 もう目をつぶっていられない状況になってきたのかもしれないと思いました。太田さんがSNSのことをおっしゃっていましたが、SNSの問題もあります。起こったによる影響をきちんと見ることができる、受け止めることができるようになってきたのではないかと感じています。野坂先生の話にもありましたが、なかったことにするということが、とても多かったと思います。それでは被害者はそのままですし、加害も減りません。そのようなことを多分認識してきたのではないかと、外から見ると、一般ピープルとしては思います。

野坂 ありがとうございます。20年こちらのテーマに取り組まれてきた大久保さん自身の気持ちはどのような感じですか。

大久保 性の問題のみではなく、虐待を中心にですが、子どもは、私たちの未来だとそのように思っていました。そもそも私がこちらを初めにしたのは、海外の子どもたちから目を向けていき、海外で日本の大人に売春宿などで買われている女の子たち、男の子たちに取材をしていました。ふと国内に目を向けると、状況は違いますが、売春宿ではありませんが、性的な搾取に遭っている、また、暴力、被害者になった子どもがたくさんいました。自分の社会の中で起こっていることを、なぜ私は知らなかったのか、目を向けていなかったのかと即思いました。

 それからは、ほそぼそとですが、仕事柄嫌がられることも多々ありますので大変厳しいのですが、やはり回復途上にあるといいますか、前を向いている方に会うなど、もう十数年付き合っているかつてのお子さんもいますが、その彼女たちの歩みを見ていると、とても学ぶことが多く、希望を感じます。やはり環境、社会、私たちがどのように認めるかにより、子どもたちの力は引き出されます。同じように生きる力を引き出すのは、私たち次第だということを、とても強く感じています。

野坂 とても身近にあった問題だと気付かれて、深刻そうでも回復していくということが、だんだん見ることできて、感じられるところなのですね。ありがとうございます。今のお気持ち、参加されようと思った気持ちを含めてお話しください。

エミ 被害者の娘を持つ母親の立場です。5年ほど前に子どもの被害が分かり、母親の自助グループに入ったことで、もふもふでお世話になっています。今回は声掛けいただき、一般ピープル、多分私が一番一般ピープルになります。親ではあります。毎日当事者を見続けて、ケアをし続ける、一番近いところで子どもと接する立場です。私自身も性の問題は、親の役割は、ついこの間、子どもが被害に遭うまでは、妊娠をするような行為のみは気を付けましょう、レイプされないように気を付けましょうという程度のことが、親として最大できることではないかと思っていました。

 性の問題というのは、中学2年生頃になり、子どもが初体験をして、その頃から自分で覚えていき、という感覚でいました。昭和の人間ですので、20歳で経験がないというのは遅いという程度の、わが子に経験させたほうがいいという程度のことでした。ですので、自分で性に関してのパターンといいますか、人とのお付き合いの方法、恋愛、結婚というものは、自分で開拓していくものという感覚でいました。まさか同意のない性行為で子どもに精神症状が出るということも、全く知らずに、本当に40代、50代まで生きてきました。いまさらながら、人生をかき乱されている感じはあります。

野坂 お母さんの立場で、今まで娘さんが性的な性行動を取る、性的に成長していくということはイメージしていましたが、まさか同意のない性行為を受けるというところは、想定外で、そのことが今のお母さん自身にもとても影響されている、災害のような体験談だということですね。

エミ そうですね。親になる前に覚悟をしていたかったということと、私たち昭和の頃には、保健室の先生から、保健体育で、修学旅行の前に性教育を少し受けるということがありました。今の子どもたちは、もっと進んでいるのではないか、コンドームの使い方程度は、小学校、中学校レベルで教えられているのではないかと、期待をしていました。実際に親になってみると、性教育がタブーになっており、時代が逆行しているという中で育てることは、とても、どうなのかという、今一番きにかかっています。

野坂 親として、子どもが性教育を受けることというものは、当然普通に期待していたことですし、性暴力を受けるなんて想定していない問題ですね。本日は、性暴力の治療教育が必要かどうかも含めて話をしていますが、何か感じていること、思っていることはありますか。

エミ 性教育というものは、加害者にならないためにも、被害者にならないためにも、被害者が加害を起こさないためにも、必要なものだと思っています。親としても、学校に丸投げではなく、親が子どもに性教育をすることはとても難しいです。思春期になると、子どもは親の話など聞きたくありませんので、それまでに小さいときからできることを、これだけたくさんの方が一生懸命考えようとしてくださっていることに勇気をもらうことができる気がします。

野坂 皆で、子どもの性教育や性についての教えをしていったほうがいいのではないかと。被害も加害も、両方を防ぐことができるのではないかということですか。

エミ あとは、私の子どもが被害にあったことが分かるまでにとても時間がかかりました。まだ初潮が始まるか、始まらないかのときに被害にあっています。本人も、性の被害があるということも分かりませんし、誰に言っていいかも分からないという状態から、やっと表に出せたときに、それは本人が故意で性に付いて話したわけではありませんでした。一番近いところで、接する期間が長い先生に、ぽろっと口が滑ったという感じで発覚しました。

 そのような意味でも、学校の先生、塾の先生、スポーツクラブの先生など子どもに一番近い人たちが、気が付いてくれるということは、とても救いです。私が何かおかしいと気が付いた子どもの身体的な症状がありました。そのときも、視野狭窄から始まりました。心不全、不整脈、心臓が痛いと言い出し、身体症状から始まっていました。後で分かったことは、ちょうどその頃から被害に遭っていました。当時は、あちらこちらの病院を連れ回して、結局分からなかったということです。どのような身体症状が、今まで性暴力に遭った子どもたちなどに出てくるのかという情報なども、これから共有することができればよいと思います。

野坂 お母さんは、体調不良を気遣い、一生懸命病院へ連れていくなどしていましたが、なぜそれが起きたかということについての情報がなかったということですね。それはお子さんが、身近な大人に話せたほうがいいということですね。どうもありがとうございました。では、こちらの第1周は、終わります。

毛利 ではこちらのグループに参りたいと思いますが、きれいに円にしていただき、民主的にどなたからでもよろしいですが。全員回ってきます。まず話していただける方は。

林 やりましょうか。

毛利 ありがとうございます。では、お立場とお名前、お願いします。

林 大阪にある某児童自立支援施設の園長をしています。よろしくお願いいたします。

毛利 林さんです。全部先生ではなく、さんで、こちらのグループは呼ばせていただきます。児童自立支援施設で、性のプログラムをしておられて、そちらの施設長をしているということです。今回声が掛かり、どのような気持ちだったのか、どのような期待を持って、この場に今、来られましたか。

林 その辺りの個人的な感覚というものは、それほど持たないままここまで来てしまいました。児童自立支援施設、不良行為をなし、また非行するようになる子どもというのが、入所する所です。ぶちまけて話をすると、非行少年は減っています。激減しています。10年前に9万人いました刑法犯少年、これは警察のデータになりますが、9万人いました刑法犯少年が、平成29年、10年後には、3万人を切っている状態です。つまり10年前の既に3分の1以下の状態に刑法犯少年の数が落ちている、とても平和な世の中になっていることが一つあるかもしれません。ところがその一方で、この性の問題というのは、横ばいよりも上昇の感じで増えています。特にうちの施設の状況でいいますと、もともとこのプログラムを立ち上げた前施設長、本日も来ていますが、立ち上げていただきました。平成24年に試行という形で始まり、平成25年から本格稼働できました。そのときの子どもの状態からしてもどんどん性の問題の子の入所の数が増えているという状況が一つあります。特に男の子の、大体非行といえば、1番は窃盗、2番は家出、1番と2番は逆転することはありますが、大体、家出か窃盗でした。しかし私どもの施設の中では、男の子のレベルでいいますと、性の問題の子が、50パーセントを超えているという事態になっています。先ほどの話にもあったように、子どもの中では、本当に状況が変わっており、この性の問題は、子どもの問題の中では最も手っ取り早いというと言い方が悪いですが、割と問題として出やすい部類の領域だということが、とても印象的なところです。このようなことも含めて、もしよければそのような現状を皆さまに伝えることができればいいという思いで、本日は来ました。

毛利 ありがとうございます。いろいろと問題意識をお持ちで、経験もお持ちで、そのような中で本日の午前中の話と、今、前のサークルの方がいろいろな話をしてくださいました。今、どのようなことが心の中に対話として、考えとして浮かんでおり、どのようなことを感じて聞いておられましたか。

林 非行少年というのは、もともとどの子も、いつも話しているのですが、最初から悪い子などいません。いろいろなハンディキャップを背負い、ここまできてしまいます。どのようなハンディキャップかというと、やはり家庭の問題、環境因です。しかも親子の問題、それがかなり大きなウエートを占めています。一番大きな潜在的に子どもが持っている気持ちというのは、適切に愛されてきていないという状況が、だんだんと積もり、思春期になり、いろいろな方向にどんどん問題行動となり、出てきてしまいます。それは反社会的行動となる場合もあります。逆に非社会的行動、ひきこもりになるなどもあります。問題の根っこは同じだと思いますが、適切に愛されてきていない感が、子どもにとってとてもダメージとしては大きいということが一つあると思います。

 この施設の子どもの全体を見るときに、二つの視点で子どもを見てあげなさいということが、よく言われています。一つは愛されていない、愛着形成の問題です。もう一つはトラウマの問題です。このどちらかのハンディキャップを背負っている、もしくはどちらもハンディキャップを背負っていれば、とてもしんどいタイプの子になってしまいます。藤岡先生のお話で、ACEsスコアの話がありました。このようなことにリンクしているとは思いますが、そのような視点で、子どもを見てあげたときに、子どもの回復とは一体何かとなります。愛されていないことにより、非行少年のレベルでいいますと、不信感を持っています。大人のことを信用しません。プログラムのみをしても、私は、それほど成果は上がらないかもしれないと思います。やはりこのような施設の中で、施設ではなくてもいいのですが、子どもがとてもエンパワーメントされている、大事にされている、愛されているという状況をつくりながら、このプログラムがあることで、とても大きな効果が出るというように、実感としては持っています。

毛利 ありがとうございます。プログラムももちろん大事ですが、支える者として、愛されている環境、エンパワーメントされている感覚、大事だという話ではないかと受け取りました。ありがとうございます。では次の方、お願いします。

 では、お立場、お名前お聞かせください。

船木 支援学校で、養護教諭という保健室の先生をしています船木と申します。よろしくお願いします。

毛利 よろしくお願いします。音頭を開発したのですね。

船木 そうですね。踊らなければいけない雰囲気です。

毛利 どこかで見ることができるのですか。YouTubeか何かで見ることができるのですか。

船木 それが、一切上げていません。そのような方法もありますが、そのように軽く、軽くというわけではありませんが、ふざけて使われてしまいそうな気がしました。私は、思いを込めて作っていますので。

毛利 失礼しました。本日、声が掛かったときの気持ち、今もいろいろなお話がなされていて、何でもいいのですが、今、お心に浮かんでいることを教えてください。

船木 私がもともとこの性問題に関わったのが、10年前です。当時、支援学校の高等部は、暴力が激しく学校の中でもあり、その中に性問題を起こした子どもが何人かいました。その子どもたちは、当然学校であれば、生徒指導の先生が叱り、保護者におわびをするという流れがあります。保健の先生からも、体の知識の話をしてくださいということで、指導しました。しかし一向に問題行動が減らない経験をしました。例えば妊娠の話、性に関する体の話などをしても、全然有効ではありませんでした。どんどん問題が繰り返されて、収まりませんでしたので、野坂先生に相談に行きました。どのようにすればいいかということで、児童相談所がしているプログラムを紹介していただきました。

 ちょうどそれは知的のお子さまには難し過ぎるということで、われわれは子どもに合う形で教材を作り始めたことがきっかけです。私は男性ですが、支援学校は、男女いる学校でしたので、問題を起こす男の子が多かったです。男の子の体の性教育を私が担当する形で始めていました。私は問題行動を起こした子どもを見ると、腹が立ちます。無視する、ふざけて笑う、ちゃかす、それにいつも切れていて、それは変だと大きな声で叱っていました。それを繰り返していくうちに、どんどん子どもの心が閉じていきました。これは駄目だということで、野坂先生といろいろと話をしていく中で、自分が変わらなければいけないと思いました。モデルになろうと、男性としても、大人としても、心を開かせるような関わり方をしなければいけないということで、自分をモデルチェンジしました。

 保健室の先生ですので、歯磨きなど、生活習慣からまず関わりました。歯磨きなどをする中で、単に歯磨きは、歯がきれいになればいいという感じでしていましたが、そのときにちょっとしたアイデアがありました。気持ちを少しそこに加えればいいのではないかとなり、例えば歯を磨けば気持ちがいい、すっきりするというところに、子どもにそのように話し掛けました。歯がきれいになると、きれいになったというように、コミュニケーションの中で気持ちをどんどん伝えていくことが効果的だということが少しずつ分かってきました。そのうちに気持ち学習に力を入れようとなり、表情、態度、言葉など、気持ちを表すものを子どもたちに伝えることができるように、指導の教材を作りながら、集団指導、保健指導を皆でしますので、そのような場でも使うことができるように始めました。

 気持ちんの学習が中心でしたが、そのうちにやはり人との距離、片腕の距離は、いろいろなところで言われるようになっていました。これは昔から支援学校でも言われていました。片腕の距離を取りなさいと言うと、一方的に怒っているようなイメージでした。実際に子どもたちの距離が近いときに、私たち教師は、離れなさい、片腕の距離と言い、雰囲気が悪くなっていました。そのようなことを変えなければいけないと思い、境界線という、最初はバリアーか、シールドか、いい言葉が思い付かず、いっそのこと境界線という言葉をメジャーな言葉にしてしまえばどうかということで、『境界線音頭』を、実は野坂先生に、前に、最初にこのような音頭を考えましたと聞いてもらいました。そうすると、いいと言ってくれましたので、保健指導で初めてしてみました。そうするとすさまじい反響で、子どもたちが歌う、踊る、私を見れば境界線と言ってきます。音楽の授業で、『境界線音頭』をしてくれるようになり、いろいろな先生が、どんどんしてくれるようになりました。教材も、どんどん先生たちがたくさん登場するような、写真を使った教材、人との距離、境界線、人の表情など、いろいろな先生を巻き込んだ教材を作るようになりました。そうすると、教師がどんどんチームになっていきますので、養護教員1人でしているわけではなく、学校全体でそのことを共有することができると感じています。

毛利 そのようにしていくと、先ほど話していたような性加害、何か問題行動が起きたときに、腹が立つというような、そのような在り方が随分変わってきた感じですか。

船木 それと同時並行で、個別指導も続けていました。やはり加害のお子さまも、結果的には被害を受けている経験があるということを、たくさんのお子さまから知りました。いじめなど、そのときは高等部でしたが、小中学校のときにそのような被害体験があるなど、そのようなことはほとんど繰り返されています。やはり傷ついたお子さまは、結果的には加害のほうに至ってしまっているのではないかということで、加害のお子さまへの憎しみなどいろいろとありましたが、それではいけないと思いました。やはり子どもは子どもなのだというところで、こちらの関わり方一つで、回復することができるのではないかという感覚をつかみ、子どもとの接し方が変わったのではないかと。

 ですので、とにかく私はギターが好きなのですが、とにかく子どもに何か一つでもいいので、好きなことを見つけてほしいです。性教育と現実には関係のないものになりますが、好きなこと、特異なことを見つけたお子さまは、被害や加害を起こしたお子さまよりも強くなっていくといいますか、乗り越えていく力なのではないかと思いました。その環境は、学校にもあるのではないか、学校はいろいろな学習の場、いろいろな体験の場があります。その中でいろいろな気持ちの言葉をたくさん浴びせてあげて、強くなり、得意なものを見つけて、進路につなげてくれるといいと思っています。

毛利 性問題を何とかするために、性のことのみをするのではなく、気持ちのこと、生活のことなど、いいところに注目して、全体で、最終的に性の問題ももちろん解決していくというアプローチだということですね。

船木 そうですね。

毛利 この短時間で、たくさん意欲的な取り組みをされていることがよく分かりました。どうもありがとうございます。

船木 ありがとうございます。

毛利 お願いします。お立場、お名前をお願いします。

丸橋 性暴力の治療教育グループを、スタッフとして、大阪府の児童相談所の児童心理司をしています丸橋と申します。

毛利 大阪府の取り組みは、先進的ですが、これまで行ってきてどうですか。

丸橋 実は午前中からの発表を聞かせていただき、10年続いている、たまたまこの10周年の節目にスタッフとして参加させていただいていますが、私自身は、もうかなり出来上がった、数年前からスタッフとして入らせていただいていますので、本当に最初の頃の、つくった頃の苦労というものは大変だというところで、本当にそこには尊敬の念を新たにしています。ですので、本日は、引き継いで、またこれからも継続していくという立場で、私が3年目になりますが、スタッフとしていろいろと感じることがあります。その私なりの体験を伝えることができればいいと思っています。

毛利 ありがとうございます。その3年間の体験、どのようなものだったのか、かいつまんでとなるかもしれませんが。

丸橋 本当にいろいろな苦労があり、いろいろな研究があるという中で、しっかりとSVを受けながら、方向性を間違わないように進めさせていただいている、とても恵まれたグループ、実践だと思っています。等身大の私で語ると、何かすごいグループしているらしいと、外から入ってきた感じでいいますと、とても緊張して、私にできるのか、私はスタッフとしてそのようなことができるのか、そのような思いが最初はとてもありました。一から性暴力のことを学ぶわけですし、学ばなければいけないとは思いましたが、本当にそちらの不安のほうが強く、多分ファーストサークルに入るときに、皆で一緒にするという絆があるということで、私を迎えてくださったと思います。

 それまでの私も、児童相談所の仕事はとてもいろいろなこと、虐待、非行など全てします。入所の頃のケアなどあり、大丈夫かという自分自身の不安も、多分そこに重なっていたのだと思います。私にここまでのことができるのかというような、少し引いた立場で入っていたように思います。それはグループというよりも、私自身の問題で、私の中にそのような態度がありましたので、そのように見えたのだと思います。しかしやはりこの実践は、すればするほど、自分がしっかりと主体的に勉強をして、グループに参加し、実践し、また勉強してSVを受けて、実践と勉強を繰り返すことで、だんだん楽しくなっていきます。これが不思議に、マジックのようですが、スタッフ間も、本当に皆で一緒に勉強して、皆で学び、皆でカンファレンスをして、次は何が必要かというところを一緒に考えていきます。SVで教えていただいたことは、次のSVまでには、何とかそれを自分たちで実践に生かしていかなければいけないという思いもあり、次はどうする、このようにアプローチをしてみますかということを一生懸命考えます。それがうまくいった感じがあると、とても自分に返ってきます。

 本当にスタッフ間の仲は、どんどん良くなっていきますし、自分がそのような意味で、少し引いた立場ではなく、入っていけば入っていくほど、スタッフの仲が良くなります。そのようなことが、午前中の講義ではありませんが、多分そこにいらっしゃる、私は親グループを担当していますが、その親御さんにも伝わり、何かグループが明るい雰囲気になり、皆で、皆子どものことを思っている親だということは間違いありませんので、そこを共有しながら、皆でしていきましょうというグループが出来上がるのではないかと感じています。

毛利 そうすると、SVを受ける、性暴力のことを勉強するということももちろん大事ですが、チームの皆で取り組み、皆で失敗して、皆でうまくいくという、一緒にしている感じがとても重要なのではないかと、今、思いながら、そこがすごい要という感じですか。

丸橋 それは午前中、いろいろと理論的な説明をしていただきましたが、体験的に、本当にそこは大事だと感じています。

毛利 ありがとうございます。では、タダシさん、いきましょう。お立場とお名前、お願いします。

タダシ タダシといいます。よろしくお願いします。私は、一応性暴力をしたほうで、こちらのほうに加えさしていただいています。

毛利 今までのところ、たくさんの方が話をされて、午前中も含めて、今はどのようなことを考えることができますか。

タダシ 皆さま、性暴力に対してとても真摯に向き合っていると思いました。その中で、私がなぜ性暴力に入っていったのかという部分について、先ほど孤独感や、家庭との関係、そのような話が出ていました。では私はそのようなことがあったのかと思いましたが、気付いていない部分もあったのではないかと思いました。自分では普通の家庭だと思っていましたが、いろいろな意味で、自分にプレッシャーをかけていたのではないかと思いました。

毛利 自分にプレッシャーをかけていた。

タダシ 居場所の話などがありましたが、私はとても仕事が嫌でした。家庭の中でも居場所がないという感覚を、その当時持っていました。けれども、やはりこう働かなければいけないという気持ちがあり、かなり会社に行くのが嫌だとなりました。特に嫌だったことは、満員電車の中で、身動きすることができない状態でいることです。そのときに何か空白感を満たす方法はないかと考えたときに、痴漢をしてしまったということがあります。

 そのようなこともありますし、妻との関係が悪化していったときに出会い系サイトにはまってしまい、自分を理解してくれる女性を求めたときもあります。そのこともうまくいかなかったときに、実はその当時、娘がいたのですが、身近にいるではないかと、娘も女性としての対象になったときもあります。

毛利 いろいろと気付いていないことが、そのときにたくさんあり、奥さまとのこと、居場所がないことなど、いろいろな嫌な気持ちがあるといいますか、それはプログラム、どのように気付いていくことができたのですか。本日はプログラムというテーマでもありますが、タダシさんは、どのような体験をされたのですか。

タダシ 一番大きいことは妻との関係が、ぎくしゃくしてきていたことが一つあると思います。私の場合、田舎に父母を残していますが、その介護の問題などを考えたときに、母親が、長年寝たきりの、私からいえばおじいさんなのですが、面倒を見てきたことを、子どもの頃からずっと見ていました。私は次男なのですが、自分の中では、兄はもう外に出ており、いません。妻に対して、年老いたら、兄の代わりに妻が面倒を見るという気持ちが、どこか端々にあったのだと思います。それをいろいろな日頃の態度などに出ていたのだと思いますが、ことあるごとにけんかになりました。私自身、アルコールの問題があり、むしろアルコールのほうが先に症状としては出ました。アルコールで、結局、夜けんかをして、朝に謝るという、アルコール依存症に特有の症状が、週に1度ほど繰り返されるようになりました。どうにもならなくなり、会社にも迷惑を掛けるようになり、アルコールの自助グループに、最初参加したことがきっかけです。

 そのアルコールの自助グループ、先ほど藤岡先生がAAと言っていましたが、つながる中で、ミーティングの中で、自分が抱えている、気付いていない気持ち、普段であればこの程度は抑えておくことができるという気持ちも全て含めて話すような経験をしたときに、自分はこのようなことを実は思っていたのかということを気付くことができるようになりました。それが自分の中で、何となく自分の抱えているものはこのようなことだということを気付くことができるようになりました。そのことを何とかしたいと思うようになりました。それが一番の理由です。

毛利 それはいろいろなことに気付いていないので、犯罪、アルコールの問題が生じ、そのことに気付くことができるようになれば、回復の道筋を、アルコールが抜けるようになってきたという感じですか。

タダシ 一辺倒ではありません。やはり何回も道を外すことはあります。

毛利 すぐそのまま解決したわけではないということですか。

タダシ そうです。今、私の問題としてはアルコールが最初のきっかけでしたが、いろいろとしていくうちに、性の問題が実は根本にあるのではないかと気付くようになりました。今は、性のほうに足軸を置いてしています。

毛利 ありがとうございます。気持ちに気付くというところは、気持ちを言葉にしていくというところとつながるような気がしました。ありがとうございます。ではそちらにお返しします。

 

野坂 はい。ではまたこちらで一周します。お互いメンバーの話、経験した人の話、体験談をお聞きして、今、思っていること、感じたことを話していただきます。どのようなことを感じましたか。

中村 幾つか思ったことがあります。言いやすいことからいきますと、船木先生の話を聞いて、気持ちのところはとても大事だとあらためて思いました。性加害の場合は、どうしても被害の人の気持ちはどうかなど、反省しているのかと、ついそのようなことを思ってしまい、加害の方の気持ちなどはどこまで尊重することができているのか、もしかするとしっかりとできていないのではないかと思ったことが一つです。

野坂 その子に対しての気持ちを考えなさい、気持ちは分かっているのという感じになってしまいますが、その子自身の気持ちが大事なのかもしれません。

中村 そうですね。強く反省を求めるということはありませんが、やはり加害の方の話を聞く中で、どこまで被害のことに関して思っているのかと何となく思います。少し傷付いたりすることはあります。ただ反面、加害の人の語りに、私は多分触れたことが前にあったと思いますが、そのようなところに触れて、おののいて終わった感じになってしまっていました。そこを一緒に眺めるところまでは、まだもしかするといっていないのかもしれないと思ったりもしました。

野坂 これまでの経験で、加害をした子の気持ちに触れてそうなったときに、ご自身がそこで。

中村 やはりその方の満たされない心の状態など、そこの部分というのを教えていただいたことがありました。ただやはりそれがパワーではありませんが、意欲など、その方も多分、今思えば傷つけに対して、私も傷ついたということで終わったような気がしました。たまたまその方とは、本当に短い、すぐ18歳になった子どもでしたので、次の相談機関にお願いした経緯があり、途中で終わってしまいましたので。

野坂 深い所、傷つきに触れそうになると、こちらも傷つくのですね。

中村 そのこととつながりますが、やはり加害と被害のことを考えると、違いますが、やはり出会うステージが違うというと変ですが、私は昨年までは、対応させていただく方が、割と加害の方が多かった気がします。本年度は、どちらかというと被害の方がとても多くなりました。半面、加害を勉強するという感じになり、うーんと思いながらでした。それをしながらでも、加害を勉強しながら、被害のこともとても理解することができ、逆に被害の支援をしながら、加害のことも考えることができるようになりました。あとは被害の方が、長くしていくと、やはり自分自身も、加害ではありませんが、してしまうというところで、そのようなステージを見ていきました。私は、それは被害のところから入っていますので、その人がなぜそのようなところになるのかということが、とても理解することができます。加害者支援になると、加害行為から始まりますので、その手前の部分、やはりどうも分かっていないところがあります。やはり出会う点が違うという部分があるのではないかと感じました。

野坂 出会う点が違い、違うところから見ると、ものの見え方が全部違うということですね。

中村 正直に言えば、苦しかったり、良かったりすると思いました。加害と被害、二つの支援をしていると、どちらかに偏りたい気持ちになっていきます。どの立ち位置か、自分自身も、何ていいますか、切りたくなるといいますか、なりますが、それとある意味被害の方の感情、加害の方の感情であったりするのだという感じです。受けるものでも、多分少し違うのではないかと思います。一緒にそこに寄り添っていければいいと思います。

野坂 立ち位置というもので、実際の気持ちが見えなくなるほど、そのようになりますが、まずそこをつなげておきたいというような。

中村 そうですね、はい。

野坂 ありがとうございます。

太田 本市で、実は先週木曜日の夜に、先ほどからお話しされている藤岡先生にも関わっていただき、学校・園での性暴力等の防止に対する推進委員会という付属機関を設置させていただいたところです。藤岡先生ももちろんですが、その他にも弁護士さん、性暴力ワンストップセンターで携わっておられる方、スクールカウセンラー、スクールソーシャルワーカー、そのような方、あるいは警察のOBの方にも入っていただき、先ほど紹介した学校・園への対応の冊子など、そのようなことをどのように進めていくかという意見を頂戴しました。

 そのような中で、先ほどのように性教育ということについて指摘がありました。学校・園など各所の悪口を、私は今、言う立場ではありませんが、そのときの学習指導要領で、どの程度まで突っ込んで話をするかということが、時代とともに大きく変わっています。あるときは、性器そのものの名称、あるいは図面、そのようなものをしっかりと取り上げてしていた時期もあれば、概念的なものになったりしていることもありました。先ほど後退しているという話もありましたが、実際問題として、保健体育科で取り上げ、理科で取り上げ、総合的な学習の中で取り上げるなど、ある意味、見えにくくなっていることが一つだと思います。そうした性教育の中で、先ほどからもありますが、妊娠の危険性などについては話をしていたとしても、ときとしてそのようなことが暴力になり現れるということ、あるいは難しい問題ではありますが、今、世の中でどのようなことが起こっているのかということです。先ほどからの話にもありますが、画像を送ってしまったなど新聞の報道でありますが、そのようなことについてどのように考えるのかということも指導する場面が必要になってきていると、非常に強く感じているところです。

 学校・園で、もしそのような事象が生じた場合は、加害と被害が非常にクロスしたところにいる可能性があります。同じクラス、極端な場合は隣の席、そのようなことも想定されます。それぞれに保護者がおり、子どものことを誰よりも大切に思っている方がいます。そのような中で起こってくる事象に対して、いろいろな相談に・・・。

親がいる所は、両方が話を聞いて対応するという場面が必要になってくると思います。今は実際問題として、そこら辺の難しさを想定して、話を進めなければいけません。今後は保護者のかたがたにも、あるいはいろいろな方から知恵を拝借しながら、どのようにすることがいいのかについてです。

 これも一律に、機械的に何でもこのような場合はこうなりますというようにできないと思います。それでも、最低限でどのようなことが必要なのかについてです。あるいは、子どもたちに寄り添うことで、子どもたちが少しでも救われる部分をつくってということは先ほど申し上げたとおりです。何とかしたいという思いがあります。もちろん専門家の助けを借りなければ、どうにもならないことがあります。

野坂 今、聞いたことについていかがですか?。

中村 あらためて大変だと感じました。でも、境界線を作る過程を聞いて、少し感動してしまいました。私をはじめ、近くにいる方はどうしても直接の支援をしている先生や施設の職員、親御さんもは、これはいけないこと、これは良いことについて、意識していなくてもモラルとして持っているので、それが出てしまいます。子どもはそれを敏感に感じるので、その難しさはとてもあると思います。

 私も身近な人間に対しては当然、そうします。第三者からは割と客観的に見ることができますが、現場のかたがたはまさに直に関わっているので、とても大変だと思います。だからこそ受容教育と言えばいいでしょうか、それこそ境界線音頭ではありませんが、それを早く社会で共有することがとても重要だと、話を伺っている中で思いました。

野坂 社会がそのようなことを共有してくことです。

大久保 起こってしまった場合のケアは、専門家の先生たちに協力していただくことが必要だと思います。予防という意味でいうと、あるいはそれがあまり深刻にならないように、起こったとしてもすぐに人に言うことができる、すぐに助け合うことができることです。あるいは、先生や施設の職員がすぐに気付くことです。とにかく起こったとしても、それほど深刻になる前にケアができるような体制をとるために、一部の人ではなくて、より広くいろいろな人が知ることが大切です。より小さいときから普通のこととして、赤信号で渡っては駄目と同じ感覚で、性のことも語り合える社会になればいいと思います。

 そのために、まずは国会議員等の頭の固い人たちを説得しなければいけないと、きょうの話を聞きながら思いました。

野坂 ご自身ができそうな社会を変える方法として、そのようなことも考えました。

エミ 私は割りと昔から、精神障害者の支援の現場にいました。知的障害者の支援もしているような所にいたので、自分では慣れているのではないかと思っていました。いざ自分が毎日、健康でこのまま手元から離れて自立していくであろうと思っていた子どもが、また戻ってきてしまったというか、小さい子のように一から、ご飯を食べるところから、1日の睡眠や体調のコントロールができなくなってしまいました。それに向き合うような立場になったときのことです。

 私は精神保健福祉士ではないと思いました。そうだとしても、できないでしょうというぐらいに余裕がない感じが自分に湧いてきました。このような人生を歩むはずではなかったという怒りが内側から湧いてきます。子どもに対しては湧きません。子どもは被害を受けている側で、この子もそのような人生を歩むはずではなかったと思います。思春期になれば好きな子ができると思います。バレンタインチョコレートを作っているような時期だと思うような、かわいそうという思いが強いので、一緒になって涙を流します。

 加害者に対しては、ものすごい怒りがあります。何年も毎晩、加害者を殺す夢を見てきました。起きているときでさえ、加害者を一番苦しい方法で殺すには、罰するためにはどのような方法がいいのだろうかと思いました。逃げることができないようにするためには、一緒に車に乗り込み、友達が運転をして、ドアにロックをかけて自分だけ逃げるような、本当に不健全なことを妄想しました。周りをサポートしなければいけない私が病んでしまうような状態でした。

 そのときに、加害者と賠償問題や責任問題について交渉することについても、暴力性を表に出すのは親である私です。言葉の一つにしても、どのようにして加害者を苦しめようかと思います。この人が一番つらいと感じるためには、どのような言葉を使おうかと思います。育ってきた家庭環境に対して、あなたは親にも愛されていなかったからこのようになったと言ったこともありました。そのときに加害と被害は紙一重ということを自分で感じました。

 そのうち正しい、世界的に責められない攻撃の仕方を考えるというか、私の中でもそのように変わっていきます。道端でやからのような人たちから、弱い者いじめをされている人を守るときに、加害者を攻撃することについてです。世間から見ると、助けてあげていると思われるような役を買って出ることで、私はストレスを発散します。自分の娘に対する加害者ではありませんが、この人を攻撃することで自分の苦しみを晴らそうとしてみました。

 必要以上に正義感の強いおばさんが地域で正しいことをします。それを見て、他の子どもたちが、私のお母さんは怖いということで、正しいことしか言わないと思います。悪い人がいたときは行きます。困っている人がいれば助けます。そのような生活になってしまっていることもあります。

 加害者が傷ついている中で加害に至って、被害者がそれを受けて、暴力に向かうことがぐるぐると続いていると、自分の中で思いました。

野坂 そのような怒りや憎しみの気持ちがあります。対象を傷つけたいという思いをとても感じました。それでお嬢さんが、食べることや寝ることからもう一回始めなければいけない苦しさやつらさが、1人で抱えたいたことにつながるようです。

毛利 2巡目です。他の活動の内容のことでも、もちろんいいと思います。ぜひいろいろな方の話を聞いて、感じたことや考えたことを話していただきたいです。私は先ほどから、会場が暑いと思っています。

 教育委員会の方がたくさん取り組んでいることを聞きながら、でも先生の専門力もあります、それはどのようにすればいいのかということがあります。先ほどの加害者に暴力する考えが湧くということも、私も刑務所で何回も性犯罪をしている人の話を聞いていて、本当に島流しになってしまえばいいと思っていたので、たくさん共鳴しました。そのような感じのささいなことで結構です。感じたことや考えたことを、ぜひお願いします。

林 今、被害者のお宅のお母さんがいろいろな話をしているのを聞いて、本当に身に刺さるというか、私の所はもちろん非常に被害に向いていますが、被害から加害があったというタイプも見ています。児童自立支援施設で勤務が長いです。当初は私も思っていました。加害の行動に対して懲らしめるではありませんが、本当にこの子に被害のことを分からせるためには、同じ目に遭わせることが最も有効ではないかと思ったことも、若いときにありました。

 この周りのかたがたの大半も、恐らくそのように考えると思います。ただ、例えば私の児童自立支援施設を見ると、本当に愛されていないことや、いろいろなプレッシャーがあります。ある職員がこのように言いました。窮鼠猫を嚙むということわざがあります。つまり、追い詰められたネズミはネコも襲います。非行少年はそのような子どもだと言ったことがありました。つまり、追い詰められた子どもです。そのような見方をしてあげなければ、この子たちの立ち直りを図ることはできません。加害の子どもを懲らしめても、実は加害の子どもは被害の子どもの気持ちになることはできません。

 そうではなくて、加害の子どもに対して回復させてあげると言いますか、愛情を掛けて、自分が大事にされていることで、初めていろいろな気持ちが湧いてきます。今まではほとんどの子どもが全く信用していませんでした。自分の親も自己中心的な養育の中で生きているので、子ども自身が自己中心的です。その世界でずっと生きて生きているから、それは仕方がありません。自己中心的な周囲の中で生きてきた人間が、周りのことを配慮できるということはあり得ません。つまり、周りのことを配慮できるような世界に置かれて、初めてその気持ちが湧きます。

 つまり、その子を懲らしめても、本来的にあまり効果がありません。確かに、懲らしめるので、これはもうやめようとなるかもしれません。でも、被害者のことを考えてそのように思うのではなくて、自分のことだけを考えて、もうやめようと思うだけです。それでも効果があるのではないかと言われると、そうかもしれません。本来的には、自分の行ったことがこれだけひどいことだったということを気付かせることです。逆に言うと、その子にとって本当の意味で、今後で生きていく上で重荷になると思います。そのようなところにたどり着くためには、結果的に懲らしめるだけではあまり効果がありません。

 先ほども言ったように、子どもをエンパワーメントすることです。福祉的な視点で、子どもを回復させてあげながら、プログラムの中で子どもにいろいろと気付かせていきます。性の問題だけではありません。今のことをエンパワーメントしながら、いろいろなことを教えることが、特に少年のレベルではとても大切なことだと思います。それが私の所の子どもを見ていて、本当に思うことです。

 今はこのプログラムを行っています。この会場にも私の所の、2人の心理士が来てくれています。私の所の心理士と子ども相談センターの心理士が共同して、退所させるための支援として、一人一人にプログラムをしてくれています。今は改善率が90パーセントというエビデンスを出しています。

 心理士が30週から40週をかけて、1人の子どもに対してプログラムをします。なぜこの子はこのような行為をしたのかが分からないところから始まります。真ん中ぐらいで、初めてこれが原因で、この子がこのようになっていったのかと気付くことがあります。40週のレベルでいうと、20週を過ぎたぐらいで、ようやく本当の意味での自身の気付きというか、実は昔にこのようなことがあって、自分の父親がこのような人間ということが出てきます。

 苦しんでいる子どもたちの心を聞くことができるというのは本当に難しいです。私の所の心理士も、例えば自分の聞いていることが10あったとすると、恐らくその子の100200のレベルの中で、10ぐらいしか聞くことができていないのではないかと思っているはずです。本当にそのようなレベルだと思います。それだけ人の心は難しいです。特に被害を受けている子どものいろいろな気持ちを引き出すこともとても難しいです。ましてや、それを加害の子どもに対して、回復しながらいろいろな取り組むこともあり、本当に難しいと常々思っているところです。

毛利 被害者の気持ちを考えろとよく言います。本当は被害者の気持ちを考えさせたいのではなくて、実は自分の分かれよという気持ちを押し付けたいだけのことが、よくあると考えました。そのように思うと、追い詰められたという枠組みで話を聞きました。それがさらに20週をかけて、ようやくなぜ行ったのかが分かるぐらいです。それで、一緒に気付いていくようなプロセスということが分かりました。

船木 もともと加害を起こした子どもについてです。先ほど被害のお母さんの話を聞いていて、その男の子が2歳の幼児を見ながらマスターベーションをしていることを聞いたときに、自分の娘もちょうど2歳だったので、そことリンクしました。絶対に止めなければ、この子は絶対に加害をしてしまうという怖い思いをして、怒鳴りつけていました。私も被害の方を生みたくないという思いがどうしても強かったです。そこから、1人で始めてしまいました。そこの熱量が強過ぎて、子どもとうまくいきませんでした。

 ただ、どのような大人でも、性教育をすぐにできるような大人を目指すべきだと非常に思っています。養護教諭だけではなくて、それこそ一部の心理司もいます。そのような方ではなくて、子どもに聞かれたときに、大人であれば誰もがすぐに性教育をできるようなものになってほしいです。最近はそれをとても思っています。そのような意味は教科書等だけではなくて、気持ちの部分では大人でも全く教諭の部分はできます。家庭生活や学校生活等、いろいろな所があると思います。大人がどんどんと気持ちの教諭になってほしいと、とても思っています。

 言語化はとても大事です。大人がそもそもうれしいことや悲しいことや腹が立つことを、しっかりと気持ちに出ているかと思ったときに、大人も結構、我慢をしています。一方で、大人はネガティブな感情をしっかりと抱えて、それをコントロールしながら生活していることを含めて、そのような感情も言語化することができて、一緒に抱えることや共有することにつなげることができればいいと思います。

 テクニック的なところです。子どもに好かれなければ、絶対に開かないという実感があります。別にこびを売るということではありません。安心できる大人との関係性がとても大事だと思います。どれだけ孤立しているようでも、子どもたちは絶対に友達が欲しいです。それは指導している中でも、仲間や友達が欲しいと必ず言います。そこにうまく結び付けることができると、仲間と一緒に過ごすためにはどのような自分になればいいのか、そのようなところに持っていくことができないかと、いつも思っています。

毛利 大人が性教育をしっかりとできるようになることです。大人も気持ちをしっかりと話すことや、共有できるようになることです。まずは大人と安定した関係性を持って、子どもが友達を作っていけるようにすることです。大人が性教育をするために、何かいいアイデアはありますか。

船木 教材を作ることは駄目です。

毛利 それを読めないからですか。

船木 皆さんは恐らく、最近は大人用のセックスの本がとても出ているのはご存じですか。産婦人科の先生が書いた本等が出ています。私は実は教員同士の皆で、そのような本を回し読みしたことがあります。どのように感じたかという教諭がいました。あとは性情報についてです。当時はアダルトビデオによって、実際にわれわれ大人は性教育をなされていたという本があります。実はそれを男性教諭で読み合わせをして、お互いの感想を言い合ったことがあります。

 そうすると、それぞれで意外に感じ方が変わっていました。例えば子どもを指導するときでも、ここまではいいけれどここまでは駄目という感覚が少しずれていることがありました。結局、大人がフリーに性の話をできるようになっていなかったと感じました。なかなか言いたくない、つらいという方もいます。当然、それを皆がしたほうがいいとは思いません。でも、突然子どもと性の話をするのではなくて、大人同士でもしっかりと性のことを取り上げることができるような人間になっていればいいと思います。

 先ほどの大人との関係がとても大事とありました。チームワークです。私もチームワークをつくり出すことにとても苦労しています。教師の方はいますか。

毛利 恐らくいます。

船木 教師も結構、自分の感情を管理するのが苦手です。つい相手を非難や攻撃するということで、崩れやすい関係をとてもつくってしまいます。そうならないように、教師が気持ちよく働くことができるように、チームワークづくりにとても時間を割くようになってしまったと思います。それこそ、「おはよう」を言えない先生がいます。そこは結構、うるさく言います。子どもに「おはよう」とあいさつをしなさいと言いながら、大人同士が朝に「おはようございます」と言えないのは駄目だと思います。そのようなところから改善できると思います。あまり言わないでください。

丸橋 せっかくここに座らせてもらっているので、きょうの体験を自分の中でずっと味わっていました。皆さんはとても自分の意見や考えを、このサークルの緊張感がある中で、とても上手に話していてすごいと思いました。

 被害の娘さんを持っているお母さんの話の中でも、ここまでしっかりと自分の気持ちに向き合って、それをこのような場所で話せていることが素晴らしいと思いました。タダシさんはいろいろな体験をへて、自分の気持ちに気付いたというプロセスについて話していました。他の方の話でも、気持ちがキーワードとしてとても出ていました。そのような中で、私が今、グループの中で体験していることと重ねて考えてみました。

 気持ちについて、大人が簡単に言えるような環境がありません。児童相談所等の職場や、そのような気持ちを扱っている心理士でさえ、自分の気持ちを正直に吐露するできる場は非常に限られています。その中で、今、このグループがとてもうまくいっているのは、それをとても大切にして、分かち合えることに非常に価値を置いていることが一つの理由だと思いました。

 これはそうではない非常に混乱した時期をへて、うまくいかない体験をして、皆でどのようにすればいいかを考えました。一人一人が、自分が主人公になって皆が助け合います。誰か困っている人がいれば手を差し伸べます。そのような中でつくり上げていったものです。それを継続するためには、とても努力が必要だと感じました。

毛利 それは気持ちを出すような、スタッフだけの場を設けましたか。それとも、しっかりと取り組んでいこうというように進めてきましたか。

丸橋 そうです。取り組んでいこうというような働きかけはあったと思います。

毛利 日常の皆が会話するところで、それをしていましたか。

丸橋 はい。治療共同体という概念を紹介していただく中で、大事だということにも気付かされました。体験として、児童相談所のスタッフの皆が週1回、一つの所に集まって、時間をつくります。そこでグループ運営をすることは、忙しいスケジュールの中でとても大変なことです。皆が帰り際に、ここに来ると安心すると言います。きょうの皆さんの意見を聞いていて、私たちはこれからも、そのような場をつくる工夫と絶え間ない努力をずっと行わなければいけないと、より強く感じました。

毛利 いい関係なり場をつくって、皆が安心できるような感じをイメージすることができました。最後にタダシさんです。

タダシ いろいろと話を聞いていて、いろいろな考えが頭に浮かびました。まずは加害、被害という言葉があります。恐らく性加害をした人のほとんどの人が、相手に被害を与えてやろうと思いながら性行動をしているわけではないと思っています。それは自分が気持ちよくなりたいことや、そのような気持ちの結果として、被害者が被害を受けたと感じることができる部分が恐らく多いと思います。そのような意味では、性加害者はとても自己中心的です。そのような意味では、被害者の気持ちが分かるかというと、恐らく分からない人がほとんどだと思います。それを分からせようとすると、余計に分からなくなると思います。

 なぜ私がここに出ているのかというと、前回の豊中市の『えんたく』で行ったときに、被害者本人がいました。私はそのときにとても刺激をいただきました。それは悪い意味の刺激ではなくて、自分にとってはいい刺激だと思いました。いい刺激というのは、例えば自分が気持ちいいから性行動をしているときと、反対のいい気持ちという感じがしました。前は自己中心的に自分がいい方向に行きそうだと思えたので、前回は参加しました。今回も参加させてもらっています。その気持ちは、回復していくためにはとても大事です。相手の気持ちは分からないけど、自分が気持ちいいと思える方向に向かっていくことが、恐らく大事だと思いました。

毛利 どのようになってしまったのかという話も聞きましたが、そのような関わりは真逆ですか。

タダシ そのような意味では、またなったという話がありました。先ほどの2歳の子どもを見て、マスターベーションをする子どもは恐らく勇気を持って、信頼していて話したと思います。それを怒鳴られたということで、かえって傷ついたかもしれないと思いました。恐らくその子どもの中では悪いことだと思っていて、勇気を持って話したという構造があると思います。それを信頼して受け入れることができれば、少し違ったかもしれないと一瞬、思いました。

毛利 話をしてくれるということは、そのような気持ちを持って話をしてくれるということでした。藤岡先生に返します。

藤岡 話してくださった方、聞いてくださった方、ありがとうございました。

 

(全体サークル)

 

藤岡 時間になりましたので、再開します。これからは1時間半程度、外の輪の方と中の輪の方で対話をしたいと思います。今までの内側の輪にいる方の話を聞いて、思ったことや感じたことを外の輪の方から、ぜひ分かち合っていただきたいと思います。誰でも結構です。どなたか、私はこのように思いました、感じましたという方は挙手していただけませんか。

田口 兵庫県で性暴力被害者のバーチャル・ワンストップ支援センターの代表をしている、産婦人科医の田口です。普段は被害者に接していることが多いです。きょうはテーマが治療・教育プログラムということだったので、加害者の気持ちについて話をいただきました。ただ、被害者の気持ちはどのようになるのかについてです。加害者たちのバックグラウンドにいろいろな事情があることはよく分かりました。では、被害者のバックグラウンドを飛ばして、被害があったことはどのようになるのかについて、もやもやと思っていました。

 ただ、昔の生まれた状況や育ってきた環境が、たまたま今の私をつくっています。加害者の立場のような育ち、愛着や環境の問題の所に生まれたときは、自分が加害者になっていなかったと言い切れるのかと思うと、言い切れないということが、きょういただいた成果です。

藤岡 被害者を支援している立場からすると、被害者の気持ちはどのようになるのかについて、とても気になったのでもやもやしていました。でも、自分自身に何かいろいろなことがあったときに、そのようになっていなかったとは思えないということにも、目が向いてしまったということです。

 できるだけたくさんの方の気持ち・思いを伺いたいです。次はいかがでしょうか。

A 京都でウィメンズカウンセリング京都という、女性のためのカウンセリングをしています。そのような意味では、被害者の支援が多いです。そのような支援をしている中で、スタッフ同士で気持ちを共有することや、チームをつくっていくことを、当たり前のように取り組んでいるつもりでしたが、もう少し意識的に、そのようなことをつくっていくことを感じました。

 ウィメンズカウンセリング京都で、京都のワンストップ支援センターの委託を受けています。そちらでは約50人の実働している方がいます。そのようなかたがたとそのようなチームをつくっていくことや、気持ちを共有することについて、より意識していきたいと感じました。

藤岡 ウィメンズカウンセリングセンターの方でした。支援者同士の分かち合いやサークルやチームづくりを、より丁寧に取り組んでいきたいと考えています。

アバ 先生の隣の方についてです。私もそのことを、どのようにして自分の中で済ましたのかについて聞きたいです。娘がいたという言葉に、私はとてもショックを受けました。最初に聞いたときから、ずっと私の中で気になっていました。ご自分はその後に、その思いをどのように解消したのかについて聞きたいと思いました。

 

藤岡 もしよければ、あなたの立場を話していただけますか。

アバ はい。性被害に遭った子を持つ母の会、ひまわりの会で、先生たちと一緒に取り組ませてもらっているアバです。

タダシ 最初は自分の中に、もともとは純粋な親としての愛情しかありませんでした。それがだんだんと、いろいろな自分の性的なものを何とか満たせないかと考えたときに、自分の子どもに目がいってしまった時期があります。それを解消するということは一瞬だけでした。目がいってしまったときは、ある意味でとても短い期間でした。ただ、そこで出てきた症状として、痴漢行為に走ってしまいました。恐らくそこから転移していったのだろうと思います。

 そのようなことがいろいろとありました。結局は家族と別れることになりました。娘たちに申し訳ないという気持ちがとても強かったです。娘はもともと明るい子でしたが、それで信頼を裏切ってしまったというすごい自責の念にかられました。一時は本当に生きることがどうにもならないほど落ち込んだ時期もあります。

 その気持ちを解消することについてです。結局は自分が間違っていたことをしっかりと認めることです。今の自分としては、同じ屋根の下で暮らしていくのは無理だと認めました。何回か一緒に暮らすことにトライしました。トライしましたが、娘たちの気持ちが一回離れると、土下座しようが何をしようが、受け付けません。それを認めるしかないと思っています。一緒に暮らすことをトライした期間は、妻との関係性も悪化していきました。もう無理だと諦めました。

 諦めた中で子どもたちに対する埋め合わせについてです。例えば言葉やお金をあげるのではなくて、子どもたちと妻の日々の幸せを考えます。あるいは、被害に遭った人が幸せになることを祈ることです。被害を与えた人に会う機会もありませんし、祈ることしかありません。でも、しっかりと一日一日を生活することしかありません。過去の過ちは戻らないので、これからの自分がどちらを向いていくのかについて目を向けました。

藤岡 よろしいですか。

アバ はい。

藤岡 他はいかがですか。

森 私はせい暴力被害者をなくす会マイハピネスの代表の森です。私は被害の当事者です。話を聞いていて、いろいろと思いました。初めは加害者に対して怒りを持たなければ、回復することができなかった過程があります。しかし、どのようにすれば被害者という立場から逃げることができるかについて考えました。加害者から独立しかありません。独立というか、自立しかありません。

 加害の当事者の話を聞いていて、初めは社会の問題だと思っていましたが、心理的なものと言われたときに、ショックを受けました。ただ、代表としてここに来るためには、とても勇気があったと思います。社会的に加害者も孤立していることも分かってきたので、共有し合うことです。加害者の気持ちは分かりませんが、何かがあったのだろうと思います。ただ、最後に言いたいことがあります。被害者の気持ちは分からないと言いましたが、少しは勉強してもらって、被害者の気持ちもくんでもらいたいと思います。

藤岡 被害の当事者からです。怒りを糧にしなければ、回復できないという時期がありました。その後に社会の問題だろうと思っていましたが、きょうは自己中心的だということを直接聞かされてショックではあったけれど、ここに出てきた勇気については認めざるを得ません。そして、被害者のことを分からないと言っていないで、分かる努力をしてほしいということです。

 他の方もお願いします。

加藤 木津川ダルク代表のカトウです。私自身も性加害の当事者です。皆さんの話を聞いていました。実際に性加害で裁判にかけられて刑務所に行くとなると、3年から5年は行くことになると思います。そうすると、罰を与えるのに1000万円以上の税金を使います。でも、性被害を受けた人たちは、自分たちが回復することやケアすることについて、税金が一つも使われていない気がします。きょう座っているこの場面でも、加害者が被害者を回復することは難しい感じがしました。そうだとすれば、被害者のケアや支援や回復について、加害者とは別のところで、国がしっかりとケアや支援するお金を、加害者に罰を与えることと同じぐらいに、被害者の支援にお金を使ってもいいのではないかと思いました。

 それから、あそこに座っているタダシさんの勇気を素直に応援したいという気持ちにもなりました。

藤岡 被害者の方にも国の予算をより使うべきだろうという意見でした。他の方はいかがですか。

B 滋賀県の児童自立支援施設で支援をしています。先ほど話をした林先生と同じ自立支援施設です。基本的には加害者というか、加害児童に関わることが多いです。特に私は今、男子児童に関わっているので、加害児童と関わることが多いです。

 私の今年の経験についてです。地域の中学校と交流したときに、児童自立の子ということでものすごいばかにされて、けんかになるようなことがありました。今、子どもたちが頑張っていることを応援したいと思っていますし、自立に向けて取り組んでいきたいと強く思っています。

 その半面で、子どもたちとの面接や生活を応援する中で、親からこのような所に入れられて、このようなことをしたのだから許されなくてもいいということや、これだけのことをしたのだからもういいだろうということを、口にする子どももいます。自分の立場や状況によって、私も何かを抱いているというときには、それこそここから頑張ってみようという思いもありました。逆に子どもたちがそのような話をしているときには、いや、そうではないとなります。自分の中でも、本当にどのような目線で子どもに関わればいいのかについて、とても思い悩みます。

 その中でいろいろな立場からの皆さんの話を聞いて、そこに一貫性があることです。それこそ、流されてはいけません。一貫性を持ちながら、私1人ではどうにもできないことがあります。組織や地域として、本当に一貫性を持った支援を続けていかなければいけないと思いました。

藤岡 児童自立支援施設で子どもたちの支援をする中で、加害と被害の間で自分の価値が揺れるというか、引き裂かれるような感じを体験しています。

土山 土山です。大学の教員ですが、これは全く専門ではありません。そのようなスタンスの1人の立場で来ました。いろいろな思いがあります。例えば気持ちがキーワードでありました。自分がいろいろなことを分かっていなくて、自分の学生を傷つけてしまった経験がありました。自分自身も、どこからが性被害でどこからがそうではないか分かりません。具体的な事実として、大学時代に夜中に目が覚めると、隣にカッターを持っている男の人が立っていることがありました。しばらく忘れていましたが、いろいろと話を聞きながら、そのようなことがあったことを思い出しました。

 いろいろなことを考えて、伺っていました。意外といろいろなことに刺激されて、まだ自分の中で言葉にして、きょうの集まりは私にとってはこうであったと言うことはできません。恐らく多くの方がそのような気持ちだと思います。

 キーワードで寄り添うことや、理解できないけど理解しようと思うことがありました。それから、加害者か被害者のどちらかではなくて、加害も被害もというように、社会としてはつながっていかないと、いかないとと言うと少し言い方が違いますが、加害も被害もそうだと思って伺っていました。

 タダシさんが勇気を持って話をしていただいたことを本当にありがたいと思います。ただ、率直にいろいろと気持ちを向けている、被害に寄り添う立場のかたがたのことも尊敬したいと思います。そのようなつながりについて、特に知るということです。

 私は本当に性教育のことについて、治療的教育もそうだと思いますが、知るということの大切さをどのように分かっていけばいいかです。一方で学生のレポート等を見ていると、とても気軽に私たち一人一人が意識を高めて知っていくことが大事というコメントがありますが、これは何も言っていないと言います。最後に教育と視認性に逃げることは何も言っていないことだと、学生のレポートでは言っています。そのようなことをいろいろと考えさせられる時間でした。

 参加しているスピーカーの方も、自分が失敗したと思っていること、自分は本当はそうではない人間として受け入れられたいけれど、自分の率直な気持ちを語っていることについて、本当に素晴らしい刺激をいただいたと思っています。

藤岡 土山先生は話を聞いていて、自分自身のことをいろいろと思い返していました。他はいかがですか。ぜひ分かち合いをお願いします。

太田 船木さんが養護教諭でしたが、私は養成課程に携わっている者です。先ほどは教師があいさつもできないという話がありました。まだまだ教育の場では加害について、問題行動を起こしたことをなくそう、問題行動を起こした子を排除する所が現実的にあります。とても悲しいというか、それではなかなか問題は片付きません。教育委員会の方が何とかしようと言ってくださって、ここにいること自体に私はとても感動しています。これが一つの市だけではなくて、いろいろな所で広がることを切に願っています。頑張って取り組んでいってほしいと本当に思っています。

 養護教員を務めていて、被害の子を支えることが多かったです。被害だけではなくて、加害をなくさなければ被害もなくなりません。私は子どもたちに被害に遭ってほしくないし、加害者として生きてほしくないということを、とても思っています。その中で養成という所で、養護教諭になろうとしている子どもたちに何ができるのか、学生に何ができるかについて考えていきたいと思っています。本当にここで勇気を持って、話をしてくださったことに尊敬もしますし、感謝申し上げます。

藤岡 学校の中での性暴力について、加害者も被害者もなくしていくことに対して、活動へのエールとご自身の思いを語っていただきました。きょうはたくさんの方が気持ちを分かち合っていて、いい感じになっています。お金は出ませんが、ぜひ思いの丈を分かち合ってください。

C あいさつもできない教員系です。某市教育委員会、あと1人がいます。実は3人が紛れ込んでいます。太田がたくさんのことを言いました。学校という場所は今、教えていただいている加害と被害が同席する可能性が非常に高い場所です。被害の気持ちということは、加害に至るまでの思いについて、例えば隣同士の席にいたときに保護者はどのような思いをするのかについて、事態が起こってからは皆を同時に考えることができません。どこかの何かが置き去りになってしまうようなことが多いという反省の下に、加害と被害を生む前に何かができないかという中で、先ほどの性教育やいろいろな取り組みについて、その後はどこにつなげていけばいいかについてたくさん勉強しました。

 この後にまだ進んでいく中で教えていただけることがあるのではないかという感謝の思いを込めて、某市は頑張っていきますので、今後ともいろいろなことを教えていただきたいと思います。元気をいただきましたのでお礼を申し上げます。

藤岡 上司のかたがたも、恐らくいろいろと励ましてもらいたいような孤立感がどこかにあるのではないかと思いました。皆を応援しています。

エミ 先ほどは『えんたく』で中を向いていたので、後ろの方たちの顔は見えませんでした。娘の被害が分かってから、私もいろいろな方の話を聞くためにあちらこちらに行きました。その中で医療機関の精神科や婦人科や小児科の先生たちの話も伺いました。養護教諭の先生は一番子どもが訴えやすいというか、私の子どもの場合も後で保健室の先生に伺ったところ、そういえばマスクは自分で持ってくるように学校でも言っていましたが、忘れたと言っていました。あの頃はそこについて聞きました。

 そのようなことを聞くと、そのときに後で何かSOSを出して、保健室には友達と行くので言えませんが、先生とつながっていることで、娘がマスクをもらうときに何かを感じていたと思うことがあります。本当に身体的症状や精神的症状は支援者や親でも分かりません。本当に学校の先生や養護教諭の先生たちに、精神科のように患者を毎日診ていて、よく分かっている先生が研修等をしてくれるといいと、とても思っていました。ぜひお願いしたいです。

 そのような中で、大きく社会でどのようにしていこうということは大事ですが、目の前にいる当事者の加害者や被害者について、本当の現実の姿を見る機会はなかなか難しいかもしれないので、知ってもらうことが一番大事だと思います。もしかすると友達の子どもや、今、遊びに来ているこの子がと思ってもらえるように、知識を広げていってほしいと思います。

 あとは被害に遭った子も加害をした子と同じように、そこの問題もあります。信頼できる大人がいなかったことが多いと思います。私の場合も被害者の親ということで被害者顔をしていますが、子どもが安心して、このようなことがあったと言えるような親ではありませんでした。私の中にも暴力性があることや、愛着の問題が私と子どもの間にもあったと思います。

 本当に加害者と被害者は原因が同じ過程や、親子の関係にあります。そもそも親自体がパートナーとの愛情を育むというか、対等な関係性があることや、そのようなところの問題があることを気付かずに日々を暮らしながら、子どもを育てているような感じがあります。

 私も50歳になりました。人生の半分が終わったので焦っています。これからの人生で子どもたちができるだけ幸せな関係を人と築くことができるように、被害にも加害にもならないようにということで、最近はとても焦っています。社会を早く変えることができるように、何をすればいいのかと模索しているところです。またいろいろと教えてほしいと思いました。

藤岡 他はいかがですか。

中村 『えんたく』で一緒に取り組んでいる、立命館大学の中村です。このサークルの中にはいろいろな立場の人たちがいました。私の中に反応する立場の方もたくさん出てきたので、それはとてもよかったと思います。最初のレクチャーは割と理屈的だったので、私の大学教員としての側面がいろいろと喚起されて、刺激がありました。

 被害のお母さんの話がありました。それで私が喚起されたことは、私の娘が高校生の頃に友達が性被害に遭っています。そのときに私が男性なので、ぎくしゃくしたことがありました。娘のケアを妻に託してしまったことがあります。そのときに妻とどのような話ができただろうかということに、非常にできていなかったことを思い出しました。

 もともとは男性の加害のことをしていたので、ドメスティック・バイオレンス等で絶対に暴力を振るう男はつかまえないように話をしていました。ドメスティック・バイオレンスやデート・ドメスティック・バイオレンスの話は十分にしていたつもりです。そういえば、性のことは十分に話ができていなかったと思いました。

 私も正と言います。皆さんは先ほどからタダシと言っているので、私はぞっとしていました。私はいつも加害の男性たちと男問題に取り組んでいるので、男問題としてタダシさんを見ると、ある種でとても共有する面もあります。まだもう少し距離があります。先ほど娘と距離ができたと言いました。娘は私を男性として見ていた面があったので、十分なコミュニケーションが取ることが難しかったです。その後、今は話すことはできていますが、直後のケアがパートナーへの話となりました。娘が私を男性として見ていたことを、まだ処理できていません。それをどのようにしようかということと、タダシさんの話と家内の話が重なっていました。

 もう一つあります。男なので、組織の長や学校の先生や、男らしくコミュニケーションを取っているようなことをよく聞いたので、少しつらいだろうと思っていました。また男だけでサークルをつくりたいと、今は思っています。正直に背負って仕事をしていらっしゃると思いました。中の女性たちの豊かな、個人としてパーソナルに、そこに関わっていることがとてもよく見えました。並行モデルの話がありましたが、そのような意味でこの社会ではいろいろなことが並行しているということを喚起されました。

 つまり、『えんたく』では複数の声があることです。講釈を始めると、大学教諭としての地が出てくるのでやめます。私は演説しがちなので、やめます。そのようなことがよく見えました。とてもいいサークルだったと思います。私の複数の声が喚起されました。

藤岡 自己開示を伴う思いをありがとうございました。組織を背負っていると思われる、内円の2人の男性に一言ずついただきたいです。

太田 予想してマイクを持っていたわけではありません。人権教育課で取り組んでいます。そのようなことを言うので、恐らくそのように聞こえるのだと思います。よりフラットにしゃべることができればいいという部分が、確かになきにしもあらずです。でも、この輪の中に入らせてもらって、正直に今まで以上に実感できたということがあります。私は男だからとは思っていませんが、ジェンダーの部分では否定します。

 ただ、元教員として20年以上務めてきました。それから、今、取り組んでいる仕事があるので、どこかで切ることができないと思っています。子どもたちが好きなので、この仕事に就いています。今は行政の立場ですが、そこはぶれたくありません。そこがなくなったときは、辞めたほうがましだと思っています。このような場に出て、いろいろな方の、時には厳しいです。確かにあいさつはできなかったということも含めて、きょうはいろいろと持って帰りたいと思います。ご指摘をありがとうございました。

林 性の問題についていつも思うことがあります。個人的には絶対に減らないと思っています。減る要素が一つもありません。先ほど言いましたが、学校の性教育のレベルが下り坂に入っています。警察もあまり関与しない事案が当園に結構、あります。つまり、被害者が被害届を出しません。自分の娘をこれ以上、苦しめたくないことがあります。兄弟間のことがあります。当然、兄を訴えることはできないので、被害届が出ません。そのようなレベルの話があります。

 児童相談所の統計に、性の問題の統計がありません。性の問題に特化した統計がありません。例えば兄が妹に対して何かしてしまったときは、虐待事案に入ります。女の子のパンツを100枚集めると、窃盗に入ります。性の問題で統一したような統計がありません。

 先ほどおっしゃったスマートフォン問題についてです。警察が一応、いろいろなアンケートを採りました。フィルターを掛けているのは50パーセントぐらいだと思います。親が子どもに渡すスマートフォンです。今は恐らく少し増えていると思います。それでも結構な割合でフィルターが掛かっていません。小学生ぐらいのレベルでアダルトを見ている子たちが結構、います。そのようなところで、家庭のいろいろな脆弱性が、結局は性の問題に出てきてしまいます。減る要素が全くないと思います。

 被害の女の子がいるので、今はまだメディアもそれほど取り上げないと思います。取り上げるとすると、施設の中での性問題です。本来はそうではありません。施設の中だけではなくて、これは結構、多くなっていることについては、それほど大きく認知されていません。あと5年ぐらいたつと、結構、大きな数字になっていると思います。

 さらに施設の長として言わせてもらいます。恐らくこの席にも心理司の方が多いと思います。ようやく心理の方がクローズアップされるようになった状況があります。例えば私の自治体のレベルで言っても、ようやくたくさんの心理司の採用を始めました。今までは心理司は結構、抑えられていました。公務員を増やさなければいけないということで、心理司を劇的に増やすことについて、自治体は考えてきませんでした。でも、このようないろいろな状況があって、ようやく心理士を増やすことに結び付いていると思います。

 まだ制度的に脆弱です。しかも、性の問題に大人が何の手も打つことができていない状況があります。マスコミュニケーションもあまり手を出しません。警察もあまり手を出しません。法的には去年から、強姦罪から強制性交等罪に変わったと思います。そのようにいろいろな動きがあると思います。本当に穴というか、とても手が掛かっていないゾーンです。タブーということもあると思います。この辺が今後はどのようになるのかについて、とても思っているところです。

藤岡 組織を代表して話す男性です。組織の中で動いている男性は、熱意を込めて職務を語ることによって、思いを表現していると考えることができます。恐らくもう少し違う語り方も実はあるのではないかと、個人的に思っていますが、思いは伝わっています。他はいかがですか。

C 児童相談所で児童精神科医を13年ほどしています。性的問題行動と性被害の両方に関わっています。性的問題行動に関しては、藤岡先生たちが午前中にいろいろと話をしたことについては非常に目からうろこでした。私たちも一生懸命に頑張ってきたところでもあります。

 両方の話を聞いていると、本当はより何かができたのではないか、いろいろとそのような気持ちになりました。自分たちも頑張ってアセスメントをして、その子に合うことを行ってきたつもりでした。でも、もう少しできたのではないかという気持ちがあります。それと、児童ケア部隊の数がこれだけ増えました。毎日、死ぬほど働いて、これ以上のことはできたのかという気持ちがあります。今後は分かっていながら、だんだんとできることが不十分になってしまうのではないかという気持ちのように、いろいろな気持ちが生じました。

 それから、性被害の子どもに対してです。本当にここ5年ぐらいは、特にしっかりと事件化することや、子どもが泣き寝入りをしないようにするようなことは、とても頑張って取り組んできています。しかし、先ほど林さんがおっしゃったように、本当に予算化されていません。では、そのお金はどこから出るのかということがあります。海外の視察に行ってみると、彼らは国のお金で全てのいろいろな治療を受けることができますが、日本の子どもたちはまだそうではないことを思い出しました。

 それから、被害者のお母さんの話を聞きました。本当にいろいろな気持ちがありました。今までは分かってきたつもりでしたが、被害者の親御さんがどれほどの苦しい思いや葛藤をしてきたかを非常に実感できました。いろいろなことで気持ちが突き動かされたので、とてもいいものでした。

藤岡 後藤先生にお願いします。

後藤 藤岡先生たちと一緒に取り組みをしている、千葉大学の後藤です。私は法律が専門なので、どうしてもリフレクティングやこの場をどのように考えるのかについてが、今日の私の関心事でした。それぞれでリフレクトをしているときに、線が見えます。藤岡先生が最初に気持ちについておっしゃっていたので、気持ちを語るということが、最初の二つの線の中で見えました。あとは大きな輪になってどのようになるのか、ずっと思っていましたが、このように線が見えます。

 線が見えるときに、気持ちを語ることがある程度あります。先ほど、男性の方がご自身も背負っていることがありました。気持ちを語ることの困難のようなものが、常に付きまとうと思います。先ほどから、いくつかのカミングアウトがありました。カミングアウトができる場所を、私は安心安全な場所ではないかと思っています。先ほど中村さんがおっしゃったように、いろいろな気持ちがあります。どの気持ちを語るのかについて、選択的に現れてきています。どうしてもこのような気持ちを語ると受けるのではないかと思います。受けると言うか、ここで何を語るべきなのかという、べきについての話にどうしてもなってしまうという気がします。

 そのような意味で私がとても興味があることは、真ん中にいた方たちが、小さな円のリフレクティングと、今の大きな円になってからのリフレクティングの中で、語るべき気持ちの選択の仕方が変わっているのどうかについて知りたいと思います。誰かに告げるということがリフレクティングの肝ではないと思います。どうしてもこのような場が設定されてしまうと、選択的に気持ちを語ることになります。選択的に気持ちを語ることも変化することについて、リフレクティングや『えんたく』を使うときに、とても大事になるのではないかという気がします。

 もしここについてコメントをいただけるとうれしいと思います。

藤岡 ちょうどいい機会です。内円の方に、内円に入って語ることの体験について、感じたことや考えたことを分かち合っていただきたいです。どなたからでも結構です。

タダシ きょうはこちらに座らせていただきました。特に被害者の関係の方が発言されるときは、どのような言葉であっても胸に刺さります。今までは被害者と加害者という別々で、それぞれの回復に向けた活動はしていたと思います。このように一緒の場にいるという試みは、恐らくとても大事だと思います。それが一つ感じたことです。

 あともう一つ感じたことがあります。被害者の気持ちは分からないと言いましたが、分かる努力をすることです。それと、誰か相手を傷つけない勇気を持つことを思いました。それは自分本位な考え方で相手を攻撃することや、自分の思いを達成するのではなくて、相手を傷つけない勇気です。自分がこの行動を取ると、相手を傷つけるのではないかという選択をします。傷つけないことを選択する勇気です。それが必要だろうと思います。

 あともう一つ感じたことがあります。お金やいろいろな話で児童相談所が大変という話をしていました。確かにとても大変だと思います。そのように続くと思っていると、アルコールの専門病院の先生がたの間で、割とおおっぴらになってきている考え方があります。病院にいた患者を、自助グループにつなげるという考え方が割とおおっぴらになってきています。例えば児童相談所に来た相談者のかたがたが、今後は卒業しても自分たちで進んでいけるように、何かしらの自分たちが関係するような自助グループを作っていけるような動きになっていけば、安心してそのような形になってきたときに、そちらを紹介するような方法もあると思いました。

丸橋 最初、ここの輪に入らせていただいたときは、私はそれほど組織を背負っていませんでした。個人としての体験を話そうと思っていました。いろいろな話を聞く中で、自分たちのグループが行っている実践が、自分にとってどのように気持ちを分かち合う場になっているのかということを、自分の中でとても活性化されたので、それについて語るような2巡目になりました。

 2回目の大きな輪になってからは、よりいろいろな広い立場の方からの意見が入ってきました。もう少し社会的な責任を考えざるを得なくなってきました。いろいろと治療教育を勉強するということを自分がしている中で、責任について、今の立場の一方向だけで考えているのでは、恐らく足りないだろうと思いました。でも、私に何ができるのかというように、より広い視野で考えなければいけないという気持ちになってきました。それは大変だと思いますが、決して後ろ向きの感じではないような方向に向いているような感じがしました。

船木 あいさつができないと言ってしまいました。そこに印象が残ってしまって申し訳ありません。それだけ正直な気持ちが話されたと思っています。最初は本当に、自分がどのようにして性問題に関わったのかについて話しました。社会の中でこれだけの性に関わることで傷つく方、傷つける方がいる中で、教育機関や治療機関等のいろいろな方がこれだけ集まって、そもそもこのような会があること自体がすごいと感じています。

 社会はどうであれ、私自身は教育の中で何ができるのかについて考えていきたいと思います。目の前のお子さんに、どれだけのことができるのかについて考えていきたいと思っています。

 境界線音頭を踊ってもいいですか。もしこれが広がるのであれば、私はうれしいと思います。お手を拝借。私が歌うので、付いてきてください。境界線、境界線。♪

一同 境界線、境界線。

船木 境界線、境界線。♪

一同 境界線、境界線。

船木 境界線、境界線。境界線、境界線。私とあなたの境界線。♪これを1人で行うのではなくて、ペアを組んで行っています。私が行うことよりも、性教育に絶対に関わりそうにないもう一人の先生をいつも呼んできます。そうすると、その先生が結構、乗って行ってくれます。子どもたちは、この人も性教育の先生だと感じて、どんどんと輪が広がっていくかもしれないと思っています。いつもこれを使って、指導しています。これを行っておくと、普段は距離が近くても、境界線と歌うだけで子どもが離れます。子どもは笑って、先生、また境界線ということになります。私が関わっている柔道のお子さんも、この歌を歌うことで距離が取れることもあります。もしよければ、使ってください。

太田 本当にこれだけいい会があるのかと思いました。普段はチームで取り組んでいますが、これを立ち上げて始めてから、結構、孤独感や孤立感がありました。でも、いろいろな人が協力してくれて、ここまで来たと思います。

 コンビニエンスストアを調査したことがありました。指導主事の皆で分担して、どのように成人雑誌が売っているのかについてです。そのときに中身を見ていないだろうというような指摘があったので、誰かが買いに行くことになりました。明け方の4時ぐらいにわざわざ隣の市に行きました。私の知り合いのアルバイトさんに、先生と言われることが怖かったです。ここに座っていると、そのようなことを思い出しました。このようにいろいろな人の力を結集することが大事だと、あらためて思いました。買った本はどのようにすればいいか、今も机の下にあります。

中村 私がこれに出てくださいと言われたときに、どのような立場の対象者が来るのかについて、いろいろな人たちが来るということが何となく分かりました。最初は自分が仕事をする人間として、誰かを傷つけるのではないかというように、実はいろいろと考えました。でも、聞かれたことに答えるような自分でいいと思って、ある意味で開き直って来ました。そう思いながらも、きょうの夢は輪になって、なぜか先生に(####@00:22:06)。本当にそのような関係でいつも(####@00:22:13)しまっているので、私は気負っていてとても大変だと思いながら、来ました。

 でも、内側の輪の中に入るところで、とても言いやすかったというのが正直なところです。ある意味で、(####@00:22:36)話すことができました。周りの方から見られて、つらいところがあれば、何かを背負っているかもしれませんが、それはそれというぐらいに思いました。

 もう一つはこと大きな輪になったときです。最初は怖いと思いました。どこから飛んでくるのかが分からないこともありました。本当に自分はどのようにいればいいのか分からないと思いましたが、皆さんの思いやるような気持ちがありました。それは内側の輪の中も先生もそうですし、外側の方たちもいます。それが伝わってくると、また素直になることができました。慣れない中で話す自分ぐらいでいいぐらいに思えました。

大久保 普段、私は外に行って人の話ばかりを聞く仕事をしています。恐らく野坂先生と毛利さんのやりとりがとても上手だからだと思いますが、自分の考えていることについてどちらかと聞かれると、11ではしゃべります。周りに人がいても、この形態はしゃべりやすい形です。恐らくファシリテーターの方の力はとてもあると思います。全体のことをいうと、エミさんとタダシさんの力がとても大きい円卓だったと感じました。

 藤岡先生が選んでいると思いますが、どの方に来ていただくかによって、この場はとても変わってきます。この2人の力があって、大きくなったときに、他のかたがたが自己開示を安心して行いました。何か不思議な力があると感じました。

エミ 最初の小さな輪のときは、普段からお世話になっている野坂先生が隣にいました。特に私は個人の立場で参加しています。私の困っていた娘の症状や、そのようなところで感じた思いについて話ができました。それは本当に森の中にある1本の木だけを見るような話ですが、この輪になったときには加害のタダシさんもいました。他には児童相談所の方もいました。

 小さい輪のときは、自分の中では児童相談所にも頼った、警察にも行った、病院にも行った、それでもうまくいかない現状というスタンスだったので、その中での考え方や気持ちしか出ませんでした。いろいろな立場の方がいて、そのときに児童相談所の方はこうだった、対象の方はこうだったという話がありました。私はタダシさんにもちろん何の恨みもありませんが、小さい輪になったときの自分では、全ての加害者が憎いような状態でした。この輪になって初めて、憎い相手は社会の全ての男でも加害者ではないことに気付きました。気持ちがものすごく変わって、話す内容も変わったと思いました。

林 実際に小さい輪のときと今の輪になってから、それほど立場は変わっていません。変わっていないというのは、先ほどは成長として言っていました。立場からはなかなか逃れることができないということが、私自身にあります。でも、私が述べたことは、私が一番思っていることです。取りつくろったものではありません。特に被害の方が横にいると、本当に苦しい気持ちになりました。施設の子どもを背負っていて、施設の子どもに対していろいろな思いがある分、逆に被害の方の生の声を聞くと、とても苦しくなったという思いが本当にあります。

 私自身も施設職員の経験がとても長いです。私自身が施設の子どもに対して、あまりうまく行っていなかったところがあります。何が一番大事なのかというときに、子どもに対する共感的な思いです。施設の子どもだけではなくて、どの立場の人もエンパワーメントされなければ回復しません。本当の意味の人の関わりに気付けた部分があると思います。

 その辺のところで話をしました。施設の立場というよりは、私自身の本当の個人的な気持ちとしても話しました。今は制度面の話がとても重要です。今日はいつも不満に思っているところについて話しました。制度面では本当に脆弱性というか、なかなかネガティブな感覚から逃れることができません。厚生労働省では待機児童の話があります。問題行動を持っている子どものことは、はっきりと言って、あまり考えていません。このようなことを言うと、身もふたもありません。そのようなところが本当にあるので、そのような話をしました。

藤岡 まだ少し時間があるので、外の輪の方であらためて思ったことはありますか。

オオヤ 街中で開業している、精神科医のオオヤです。今日のこの場と言いますか、皆さまがディスカッションしている様子を聞いていて、まずはこのようなことがあり得るのかと思いました。つまり、ずっと話題になっていますが、被害者と加害者の方が同席しています。しかも、同じ円の中にいます。間近の所で話をしています。一体、どのようになるのだろうかという感じをとても持っていました。先ほど、被害者の方が「憎いのは男や加害者ではなくて」と言っていました。当たり前のことですが、そういうことかと思いました。

 私は子どもそのものを見ているわけではありません。子ども時代に虐待、あるいはマルトリートメントを受けた、特に性被害を受けた方の後遺症やPTSDについてです。あるいは、解離性同一性障害のような方に関心を持って見ます。いかんせん開業してしまうと、時間がかかります。先ほど予算の話が出ましたが、1人の話を最初から最後まで全てを聞くことです。多重人格の方であれば次々の人格が変わるので、一人一人に会っていくと何時間がかかるのか分からない世界です。そのようなことで、さらさらと見る癖が付いてしまいました。

 でも、そのような話を持っている、そのような体験をした方が来ると聞いてしまいます。あのときの被害者だって大変だったというように、ずっと被害者側の話ばかりでした。私は40年ほど精神科を行っています。もちろん途中が全て精神科医ではありません。途中に教員もしていました。最近、初めて加害者の方が受診しました。話を聞いていて、第一にこの人はなぜ来たのかと思いました。寝ることができないと言っていました。罪を犯したので、これからどのような罰を受けるのだろうかという不安が中心でした。もちろん不安で眠ることができないことについて受診しました。私はその人には時間を割きました。なぜかというと、再犯されると困ります。あなたが今、一番何をしなければいけないのか、あなたの過去の出来事に関して、自分が罪を償うことに関しての不安について言っています。でも、先ほどおっしゃっていただきましたが、できないではなくて、大事なのはこれからのことです。そして、これから犯した罪の償いをどうしていくかがとても大事なことで、それでどうしようということで、話をしました。はっきりとその人に何分かかったのかは忘れましたが、1時間は聞いていたと思います。後で患者に不満を言われました。そのような体験をしている、街中の精神科医をしています。

 今日の話についてです。ずっと被害の側面でしか性暴力に関する問題を見ていませんでしたが、それを加害の立場で見ることがありました。そこにおける今日の話では、午前中の講義にあったトラウマの視点はとても大事なことですが、トラウマという形でずっと見ていると被害者に目が行きがちです。加害者についても、同じようにトラウマを持っている方が、それを再演することもあり得ます。この辺のことは時間やお金等で、なかなか難しいことだと思いますが、私もこれからは考えていきたいと思います。

藤岡 森さんにお願いします。

森 私は被害者です。被害者が立ち直っていく過程について、皆さんにより理解してほしいです。境界線と言っていましたが、境界線自体がなくなってしまいます。被害関係のと言われても、そのようなことは全く入ってきません。立ち直っていくためにすごいプロセスを踏んで、立ち直ってきています。

 加害者には加害者のプロセスがあるかもしれません。被害者が立ち直っていくための過程で、社会が追い詰めている問題や偏見等があります。この場では共有したという形になっていると思いますが、まだ被害者の状況は表に出ていないです。話を聞いていて、本当に被害者の支援を行っている方は、もしかすると、何回かいら立ちを覚えたところがあるかもしれません。私もその1人です。

 加害者はもちろんプロセスを踏んで、しっかりと更生してほしいです。被害者がどのような思いで苦しんで、自分を取り戻すために費やす時間が10年や20年や30年がかかることを、より知ってほしいと思いました。加害者の立場を認めるという意味では、大切なことだと思います。そこに被害者が語ることができない過去や生き方を知ってほしいと思いました。

藤岡 被害者の苦しみや回復の過程をより知ってほしいということですね。他にありますか。

オーバーへイム ワンネスグループ、フラワーガーデンの代表をしているオーバーへイム容子です。私自身が依存症の当事者でありながら、依存症の回復支援に務めています。小学生の頃に性被害に遭って、それに約20年ふたをしました。トラウマを開示していくことで、今はようやく向き合っているところです。

 施設につながる仲間たちの中にも、性被害を受けてきて、そこから痛みを回避するために、私のように薬物に頼ってしまった仲間がいました。人によってはパーソナリティー障害や解離性障害が現れたときに、施設の中でどのようなアプローチができるのだろうかと思いました。そこまでの専門スタッフはいません。私たちはピアサポートなので、カウンセラーではないという立場からすると、先ほど加藤さんが言ってくれたように、被害者の仲間たちにも費やす資金があれば、施設で依存症の回復支援をしながら、カウンセリングを受けて治療ができるかもしれません。このような場があちらこちらであります。

 今日のこの場で学んだことや聞いたことの内容を言うのではなくて、体感したことを1人につなげていくことが、とても大事だと思いました。今はとても緊張しています。性で関すると被害者側ですが、依存症で関すると当事者側で多くの人を傷つけてきた側です。両方の気持ちがあるので、複雑などきどきがあるような、胸が痛い感覚でした。

渡邉 はい。

藤岡 待っていました。

渡邉 私はただのアルコール中毒者です。聞いている中で先に手を挙げて、何かをしゃべりたいと思っていましたが、待っていると深まったといいますか、納得がありました。

 被害の親の話を聞きました。少し普通に関わっていると、すごく面白い人だと思っていました。でも、話を聞いていると、いろいろなことを経験されてきました。でも、その反面でおせっかいおばさんになるという話が、とてもいいと思いました。

 「おはよう」を言うことができない先生たちがいる話がありました。正直に言うと、私はすごいいいと思いました。自分もいまだに、あまり「おはよう」とは言えません。認めにくいと思いますが、そのようなまともではないところを聞くことができてよかったと思います。

 私は今、43歳ですが、そう言えば親からの性教育はあまり受けてきていません。学校にもしっかりと行っていませんでした。でも、自分が何を見て覚えてきたのかについて、そのようなことに本当に皆が、私は結婚していないので子育てをしていませんが、結婚して子育てをすると、そのようなことをいくと思います。しかし、していない人が多いと思いました。そのようないろいろなことを聞くことができて、自分はよかったと思います。

 加害のことを話した方がいました。外の円にいる被害者というか、被害の方へ支援をしている人の話を聞きました。性犯罪ではありませんが、私は犯罪をして少年院や刑務所に行きました。今は加害と被害が一緒にここにいますが、併せて考えることができることと、考えることができないことあることを少し思いました。そのことについて、どのようにしていけばいいのかと思います。

 自分だけで考えると、自分で自分の大事さが分からなかったときは、人を傷つけても何をしてもいいと思っていました。自分の大事さや、自分が大事にすることができて、それを傷つけてほしくないと思ったときに、人のことも大事にすることが何となく分かってきました。そこがあると思う自分と、そこと一緒くたにできないところもあります。より知りたいし、何かできることがあれば、考えていきたいと思います。

藤岡 外の円の方から、何かありますか。

D この辺の並びを見ると分かりそうな、某児童相談所で心理司をしています。このサークルの雰囲気を外側から見ていると、もふもふネットの研修のことを思い出してきています。その場でも同じようにサークルでした。そこはいろいろな支援員が来る場だったので、そこで今の思いを語ることについて、そもそも私自身がそれほど気持ちを話すことが、心理司なのに得意ではないというところから発信していました。このように話すことができていること自体の変化は大きいと思って、聞いていました。

 今回は性にまつわる問題についていろいろと話を聞く中で、誰かの研修で聞いていたことで、結局は生きるほうの生の問題に話がいくと思いました。そこに加害や被害にかかわらずです。その人が周りの人とどのように生きるのかというところに、話がいくとぼんやりと考えました。でも、ぼんやりと考えていると、大きな話で終わってしまいそうです。それでは先に進まないと思います。せっかくのクリスマスなので、幸せな話をしたいと思っていると、自分自身もそろそろ結婚をしたいと思いました。別に1人で妄想しているわけではなくて、しっかりとパートナーのことを考えていました。

 そのときに被害も加害も生まない関わりというのは、まさにあらためて男性としてどのように女性と関わるのか、そのように日々の生活で思うことに変えていきます。そのように始めると、大きな生きるという問題の話が、日頃の人との関わり等に生きてくると思って聞いていました。

藤岡 話はつきませんが、そろそろ時間です。ファシリテーターから、少し話をしていただいて、アンケート調査に答える時間を残して終わります。毛利さんと野坂さんにお願いします。

野坂 中で体験して感じたことです。自分が一生懸命に返しているときは、とても聞いているようで、実は頭では分かろうとしますが、結構、気持ちを掛ける余裕はありません。グループのときのほうが、全身で感じることがありました。一緒に楽しいことや苦しいことを分かち合ったメンバーがいたこともありました。ただ、聞くことに専念するのは、結構、入り方が違うと思いました。

 大きな輪になってからについてです。すぐに被害者のことをどのようなことを考えるべきかという辺りの意見がありました。私の大変さを分かってほしいという意見がありました。それは考え続けてきたことですし、どのようにあるべきかと思います。

 私が最初に関わり始めたときは、彼らが治せばいい、反省してほしい、やめてほしいと思っていました。でも、どのようにすれば反省するのかと考えたときに、感じることができるようになることや、しっかりと自分のことを見つめる勇気を持てるようになることがあります。要は反省というよりも変化することだと思ったときに、変化は誰でもすることですし、必要があることです。被害者にも同じことが言えるのではないかという辺りで、自分の中で回復のプロセスについて、(####@00:14:18)感じがなくなったと言わないようにしています。

 しかし、トラウマのケアをするときに、被害者を考慮に入れていない、足りないというアンバランスな関係もずっと気になっていました。でも、トラウマ・インフォームド・コンセントの観点で見ると、要は、これは社会のトラウマ反応です。被害者のことを軽く見るということが、トラウマの例では見えてきます。加害については何とかしなければいけないということで、規制を含めて動きが起こりやすいです。それから(####@00:14:55)で見ると、どの話でも、家族も傷ついていきます。それを本人もずっと抱え続けることや、支援者もこのようにとても消耗していくように、一つの暴力がいろいろな人のことを傷つける、大変にさせていくことが、(****レンズ@00:15:12)でとても見えるようになります。

 そのようになると、もはや被害や加害の話ではありません。私たちは、この問題にどのようにして向き合う社会をつくるのかということが、大きい問題だと感じます。そのようなことを感じて、ここに座っていました。

毛利 まとまっていません。大きいグループになってからは、フリーにいろいろなことが頭を巡っていました。先ほどは中間のところで、いろいろな方たちに刺激を受けたことについて、私は少し言ってしまいました。それぞれの方の話から、考えることがたくさんありました。考えている間に次の話が出ました。そのような間だったので、数日をかけてかみ砕くだろうと思っています。

 この大きな円になってから思ったことについてです。私は刑務所に務めていたことがあります。刑務所の幹部に口答えをすると、現場に出禁にされました。謝れと言われて、謝らされました。応接室か何かで「すみませんでした」と言わなければ、出禁を解除してもらえなさそうだったので謝りましたが、解除してもらえませんでした。今は性被害と加害の話がずっと出ていました。私が自分で体験した中で、圧倒的なパワーで押さえつけられるようなことは、それだったと思い出しました。

 私はその後に刑務所を辞めて、大学で今は3年目です。3年間で4件ぐらい、教員の学生に対するセクシュアルハラスメント等を耳にしました。なぜ暴力で言うことを聞かせることがまん延しているのだろうと思います。一方で大学教員になると、学生は教員に対してとても無力です。刑務所の受刑者は歯向かってくるので、ある程度はがつんとしてもいけますが、学生は本当に萎縮してしまうので、私はすごいパワーを持っていると思うことが増えてきました。被害なのか加害なのか分からなくなります。結局、皆はどちらも持っているだろうということが、頭の中をずっと巡っていました。

 言うか言わないか悩みました。被害者のことも知ってほしいという声を出してくださった方がいます。加害者の支援をしていると、そのようなことを意見として言う方を必ず耳にします。そのたびに私たちは心がざわざわしていました。きょうも、とてもざわざわしました。何だろうと思っているときに、まだ分かりませんが、結局は自分が被害者だったときというか、下に置かれたときに、自分の気持ちを分かってほしいということを、自分が言えなかったからかもしれないと思いました。それを代わりに強くおっしゃっていました。自分ができていないことを刺激される感じなのかもしれないと考えました。

 そうすると私も支援者として、ポジティブとネガティブなものも表現できるようになっていかなければ、他の人が感じているポジティブなものやネガティブなものに、しっかりと耳を傾けることはできないだろうと思いました。たくさんのことに心を動かされました。

藤岡 このような体験についてです。プディングの味は食べてみなければ分からないという言葉をいつも思い浮かべます。いくら言葉を費やしても、体験してみなければ分からないことがあります。しかし、体験する場をつくるためには結構、時間や労力やお金もいろいろとかかります。それでも、少しずつ続けさせてもらっています。

 今、思っていることについてです。話すことにも練習が必要です。何でもしゃべることができていると思っているけれど、何をどのようにしゃべるのかということは、実は練習が必要です。会社で上司に報告するときと、このような小さいサークルや親密な家族関係の中で自分の気持ちやニーズを話すことは、少し違う能力や筋肉があると思います。

 きょうはここにタダシさんとエミさんがいます。もちろん当事者という力もありますが、話すことをたくさん、自助グループのひまわりの会やSAやもふもふネットやで話してきて、その力もとても大きいかもしれないと思っています。

 そして、私は大学の先生になって、年を取ってきました。油断すると、1人でべらべらとしゃべります。誰も止めてくれないので、調子に乗ります。しかし、このようなセッティングにすると、いやが応でも聞かなければいけなくなります。聞いてみると、皆、一人一人が自分の感じ方や考え方を持っています。どれが正しいのか、間違っているという話ではなくて、いろいろな立場の思いが伝わってくる気がしました。実はそれがとても楽しい、うれしいと感じます。

 少年院や刑務所でグループを始めました。普段はあまり聞くことができないような、受刑者一人一人の気持ちや考えがいろいろと聞くことができました。これだけ面白いことなのか、一人一人の命は対等だと思ったときにこの方法がとても気に入って、少しずつ学んできたと思います。

 先ほどは毛利さんの自己開示で、出禁の話がありました。とても傷ついていたときは、しゃべることができませんでしたが、ようやくここで言えるようになってきました。だいぶ回復してきたと思いました。

 タダシさんも最初の頃は家庭内のことを一切、口にしませんでした。こいつは忘れているのか、調子に乗るなと、私は内心で思っていました。言っても無駄だと思うので待っていると、出てくるようになりました。だいぶ整理がついてきたと思って、とてもうれしく思っています。

 先ほど、被害者のことをより分かってほしいという方の叫びがありました。すごく独りぼっちかもしれないと思いました。とても寂しい感じだからこそ、とても言いたくなります。それをどのようにすればつながりを作って人につながる言葉と、自分の中で反すうしながら、人にも伝えることができる言葉を持つことによって、つながりができてきます。それが体験できると、恐らく自分の中のいろいろな気持ちが少しずつ変わってきます。何かが自分にセットされていく感じがすると思います。先ほどは、恐らく寂しく感じていると思いました。

 このようなサークルはファシリテーターがつくるものではありません。もちろん場面の設定について、実は結構、しっかりと行っています。しかし何といっても、参加してくれる皆さんの一人一人が、ここのグループをつくっていくかたがたです。きょうも皆さんのおかげでいろいろな話を聞くことができて、いろいろなことを考えることができました。結論は出ませんが、次の一歩につながっていくと思っています。アンケート調査をよろしくお願いします。